「サッカーの日程とイタリアの国民生活」
今、イタリアで経済界からローマカトリック教会まで巻き込んだ、一大論争を巻き起 こしている話題がひとつあります。それは、現在毎週日曜の午後に行われているプロ サッカーの試合を、他のヨーロッパ諸国と同じ土曜の午後に移行するかどうかという話。
たかがサッカーくらいで大げさな、と思うかもしれませんが、セリエAの試合結果が 毎週末の一番の国民的関心事、というこの国では、サッカーの日程ひとつが、日本で は想像がつかないくらいの影響を国民生活にもたらしてしまうのです。いや、本当に。これを理解するためには、イタリア人の週末の過ごし方から説明したほうがいいでし ょう。
イタリアでは、ドイツなどと違い、土曜日の午後も商店は店を開けています(もちろ んオフィスは休み)。土曜の午後(というか夕方)は買い物がてら、あるいは用がな くても街に出て、道で出会った人たちと立ち話、というのが、人々の昔からの生活パ ターンで、実際、ぼくの住んでいるアレッサンドリアなど、土曜の夕方5時頃になる と、1本しかない町のメインストリートには町中の人が繰り出して、それこそ原宿・ 竹下通り並みの混雑です。もちろん食料品店やスーパーなどは、1週間分の買い物を する人たちで一杯。そして、友達同士で食事にでもいこうか、となるのはやはり土曜 日の夜。何というか、土曜日は社交の日、という感じなわけです。
一方、日曜日は、いちおう安息日ということで、オフィスはもちろん商店もすべて閉 店。教会のミサに行ったり、家族揃ってちゃんとした昼食を食べたり、たまには友人 の家を訊ねたりして、穏やかな1日を過ごすことになっているようです。しかし問題 は、午後3時になると全国各地で一斉に「カルチョ」(イタリア語でサッカーのこと )が始まること。
イタリア人のサッカー好きは皆さんもご存じの通り。イタリア中のオジサンと子供た ちの大半は、この時間帯、試合経過や結果を伝えるTVの前にほとんど釘付け状態に なってしまいます(女性たちは大体それにぶつぶつ文句を言っている)。サッカーの 試合は5時かそこいらには終わりますが、TVではそれからまた、試合結果や内容を ああだこうだと取り沙汰する番組が夜までずっと続きます。その視聴率はいつも30% 以上。結局、ローマカトリック教会のお膝下・イタリアの日曜日の実態は、聖なる安 息日である以上に、聖なる「カルチョ」に捧げられた一日、というわけです。 さて、サッカーの試合日が日曜から土曜に変わったら、この「イタリアの週末」はど うなるか。これまでの人々の生活パターンが少なからず変化するであろうことは想像 に難くありません。この話が持ち上がったとたん、猛烈に反対ののろしを上げたのは、小売業界とレスト ラン業界。理由は、かき入れ時の土曜日にサッカーなんかやられたら、売上ががた落 ちだ、という単純にして深刻なものです。確かに、土曜夕方の「お買い物タイム」に みんながTVにかじりついてしまったら、街に出てくる人々の数は激減してしまうに 違いありません。かといって、じゃあ日曜日に店を開けるというわけにもいかない( 日曜閉店は法律で決められている)。小売業者にとっては、大げさじゃなく死活問題 というわけです。レストランにしても事情は似たようなものでしょう。実際、ある調 査機関の試算によると、サッカーの試合日が土曜になったら、土曜の小売業とレスト ランの売上は1割以上の減少が見込まれるのだそうです。
一方、ぜひ土曜日に、と盛り上がっているのは、常々「日曜日は聖なる安息日であり 、心静かに神への祈りを捧げるべき日。カルチョは日曜の心の安息を乱す阿片のよう なもの」とイタリア人のサッカー熱を批判してきたローマカトリック教会。ミサを初 め、日曜に行われる教会の行事にとって、サッカーはにっくきライバル、というわけ です。人々の教会離れは、べつにサッカーのせいばかりじゃないのでしょうが、バチ カンの偉い方々は、ここぞとばかりにサッカーの土曜日移行賛成のコメントを出して 、揺さぶりをかけています。そもそもこの移行の話は、これまで日曜に集中していた試合を土日に分散させ、TV で放映される試合を増やして放映権料収入を稼ぎたいというサッカー界の思惑から出 たものでした。その後、大半の試合を他のヨーロッパ諸国と同じ土曜日に移し、1試 合か、多くても2試合だけ日曜日に、という説が有力になったのですが、これがマス コミに出た途端にこの大論争。当分はすったもんだが続きそうです。 それにしても、たかがサッカーの日程ひとつが人々の暮らしをこれだけ左右するとい うのは、いかにもイタリアらしい話ではあります。
