大地と風と人−第1回−
「フィリッポという人に会って来たのよ」
「ふーん 、近くに馬はいなかったかい」
少しもかみ合っていないようなこの会話−面白いことが裏に隠されている。 “フィリッポ”つまり英語名“フィリップ”の語源を探ってみれは“馬の友 達”という意味になる。" FILIPPO”という文字の中の“IPPO”の部分が “馬”だ。
イタリア、特に伝統が色濃く残っている南部イタリアでは、おじいさんやお ばあさんの名前を孫に付ける習慣がある。そのようにして名前は代々受け継が れる事が多いので、現在のフィリッポ君のご先祖様にたくさんのフィリッポ氏 がいたことは確かだ。
フィリッポ、訳せば“馬太郎”日本名としてはかなり時代遅れになってし まった名前だが、機械の無かった時代の馬の大切さ、貴重だったことを考えれ ば、この名前にどんな思いを託していたのか想像できるだろう。
今ヨーロッパで日本人観光客が一番足を運ぶ国イタリアだって、その国名の 語源をたどれば、“仔牛の大地”となる−昔々彼の地を征服したイタロ王にち なんでつけられたという。イタロの邦訳は“牛太郎”とでもなるだろうか−さて、イタリア料理の事を書くはずなのに、このような話をはじめたのには 少々訳がある。 イタリア料理を作るためには、刻んで、炒めて−という手順の他にどうして も知っておかなければならないことがあるからだ。
それは一皿の裏に隠された、料理を伝承してきた人たちの生活と土地だ。イ タロの、フィリッポの名前の陰に長い時の流れがあるように、一皿が今この前 にあるのは、何千何万という人が伝承してきた結果だ。そこでこれから、私たちが企画している料理研修中(*)にあったエピソー ドをお伝えしながら、ご一緒にイタリア料理の旅に出てみたいと思っている。
FICTイタリア料理長期研修中 ドモドッソラにて その1
研修のはじめは北イタリア、スイス国境近くのドモドッソラだ。 そこはアルプスの山の中オッソラ渓谷の中心地。
ドモドッソラとは“オッソ ラの家”という意味で、イタリアからスイスへと行く交通の要所だ。 だが、山の中の小さな街だと侮ってはいけない。スーパーマーケットも、洒 落たブティックもみな揃っているし、何よりもそこにすむ人々の温かさが伝 わってくるような、素敵な所なのだから。
街のカレッジ内にあるホテル学校で朝から晩まで授業を受けるのが我らが FICTイタリア料理長期研修の研修生だ。
この研修の“イタリア料理は郷土料理が基本”という考え方から、到着して から数日後、早速オッソラ地方郷土料理の授業をうけることになった。 あこがれの地イタリアに到着したばかりだから、今まで夢に描いてきた豊か な料理を見られると期待に胸が膨らむ。
しかし、みんなの前に出てくるオッソラ料理の主なる材料は、古くなったパ ン、森で採れるキノコに栗、使える粉はうす茶色のライ麦のみ。唯一豊かさを 感じさせるのは乳製品、チーズやリコッタ、チーズを作るときに出来る生ク リームやバターなどだ。
かつて、この地方は山の中なので、野菜ほとんど作ることが出来ず、冬場は 雪の無い時に焼いておいた半年前のパンを食べていたそうだ。 しかし、貧しい食材でおいしい物を作るのが、料理人の腕の見せどころ。こ の地方にも忘れがたい料理がいくつもあった。
まずはじめに授業で教わったのは、古くなったパン粉に卵を入れ、細かく 切ったチーズを加えて揚げたオッソラチーズの揚げ物。熱々をアルプスから吹 き下ろしてくる風の中で食べたら、心の中までホクホクしてきた。
“フィオッカ”は山奥によく似合う、夢のようなデザートだ。裏ごししたリ コッタと泡立てた生クリーム、砂糖にリキュールを混ぜて作られるが、これだ けならばどの地方でもありそうなお菓子。素敵なのは最後の過程だ。 本来なら、出来上がった物を、雪にくぼみをつけてひとかたまりを入れ、半 分凍らせた状態に作りあげるのだそうだ。
“フィオッカ”の意味はオッソラ方言で「雪」。 ひらりひらりと舞い落ちる雪のように、軽くはかなく心に染み入るドルチェ だ。少ない食材で出来上がる数々の料理の前で、飽食の国からきた研修生達の目 がきらりと光り始めた。
<次回に続く>
