サルッツォは私がピエモンテで最も好きな街の一つです。
トリーノの南約50kmのパダーノ平野西にあり、標高345〜350m、人口わずか16000人の
アルプス・モンヴィーソ峰を背景にした未だ中世の面影を色濃く残す旧侯爵領だった
美し小都市です。
トリーノから鉄道ではアイラスカ(Airasca)まで約30分、その後バスに乗り換えて
眼前に展開されるのどかなパダーノ平野の風景を楽しみながら約50分で到着します。
この街は、1142年にボニファーチョが7人の息子の一人マンフレッドに、城とその
周辺の領地を分け与え、彼がこの地に居を構えてから栄え始めました。
マンフレッドはサルッツォの最初の侯爵であり、やがて15世紀へと続く素晴らしい
繁栄への礎を作りました。
ルドヴィーコT世(1410〜1475)とそれに続くルドヴィーコU世(1475〜1504)の
間においてサルッツォは経済的な隆盛をきわめ、芸術面でも実り多い時代を
迎えました。
その後、ルドヴィーコU世の死後侯爵領はサヴォイア家のもとに移り、今日に
至っています。
まず駅前を降りたら、丘の上の旧市街へと足を向けます。入り組んだ石畳の坂道が
続きますが、主な道は一本ですのでどの道を辿っても丘の上にたどり着くことが
出来ます。私がいちばん驚かされたのは、旧市街に入ると観光客目当ての土産物屋
などが一軒もないことでした。ゆっくりと街を散策するにはこれ以上の素晴らしい
環境はないでしょう。
この後私たちは丘を降り、途中にあるリストランテでピエモンテ料理を賞味する
ことにしました。訪ねた所は、トリノの旧知のイタリア人夫妻からサルッツォで
一番お勧めと聞かされた
“L'Ostu Dij Baloss ”
でした。
坂の途中に観光協会の案内所がありますので、ここでパンフレットや地図を手に
入れておくといいでしょう。
古い町並みを抜けると、丘の上に大聖堂、カヴァッサの家、サン・ジョヴァンニ教会
、古城跡などの見所が点在します。
カヴァッサの家(Casa Cavassa)
ここは、内部を見学することが出来ます。15世紀末の館でとくに柱廊に囲まれた
中庭や回廊はルネッサンス期の特徴がよく表現されています。
そして館内のマルゲリータ・ディ・フォワ(Margherita di foix)の間は、ハンス・
クレーメ作と伝えられる聖母のタブローがあります。
朽ちかかった階段を登り、ひんやりとした重々しい淀んだ空気の中でじっとこの
タブローを見ていると、まるで自分が数百年の時代を溯ってこの館の住人であるかの
ような錯覚を覚えさせます。
天井や柱の細部にまで施された数々の見事な装飾も、私の奇妙な体験を更に深淵の
底へと沈めたようです。
一歩外へ出て、光り輝く庭園を眺めると、束の間の疑似体験から現実の世界へと
一瞬にして呼び戻されてしまいました。
サン・ジョヴァンニ教会(Chiesa di S.Giovanni)
次に訪れたここサン・ジョヴァンニ教会はさらに重々しく荘厳に訪れた私たちを
迎えてくれたのでした。
1330年に着工され、15世紀までかかって今私たちが目にする建物が完成されました。
ゴシック様式の教会で、後陣はフランスの影響を色濃く残しています。また、
ここには先のルドヴィーコU世の棺が安置されています。
イタリア中の数多くの教会を見てきた私ですが、ここはフィレンツェのような豪華さ
やシチリアで目にした光り輝くモザイクとは無縁の静寂さがあたりを包み込み、当時
人々が信仰を心の拠り所としていた思いがひしひしと伝わり、忘れることの出来ない
教会の一つとなりました。
さて、また晩夏の陽光輝く現実の世界へ戻り、今度はサルッツォ侯爵の古城にある
楼塔へ登ることにしました。薄暗い螺旋状になった狭い階段を登るにつれて、時折
採光の窓からサルッツォの町並みが覗き始めます。やがて最上階につくと、狭い視野
から一気に赤い煉瓦の家並みが広がります。ここからのモンヴィーソ峰を望む
サルッツォの景色はまるで一枚風景画のように今でも私の脳裏に深く焼き付いて
いるのです。
かつては貴族達が愛用したであろうこの家具達は、今でもピエモンテの家々で
何世代にも渡って代々愛用され続けているのでしょう。
5月と9月には、ここサルッツォではアンティーク家具の見本市が開催され多くの
観光客が訪れています。