第2回 SICILIA
“Isola del Paradiso”

 第2回目は“天国の島”と題しシチリアを中心に南イタリアの味覚をお届け しましょう。
まず最初にシチリア州について簡単にお話しましょう。地図を見てもらえば おわかりになるでしょうが、イタリア半島の先端に位置する地中海第一の 大きさの島です。州都はPalermo、 面積は26,000ku(イタリア第1の広さ)、人口約500万人です。

  シチリアはイタリアでも他の州とは大きく異なった歴史と文化を持ち、 当然のことながら食文化でも他で見られないシチリア特有の料理が 数多く見受けられます。今日までにシチリアの歴史は、カルタゴ、ローマ、 東ローマ帝国(ビザンチン)から始まりその後、アラブ、ノルマン王朝、 アンジュー家(フランス)、アラゴン家(スペイン)と様々な国や王朝の支配を 受けてきました。実に様々な文化がこの島を染めては去り、それぞれが 少しずつ徐々に土着の文化と融合され今日のシチリア食文化の礎を 築いて来たと言えるでしょう。 それでは簡単にその変遷を眺めて見てみましょう。

  ギリシャ時代にはシチリアはギリシャ本国の属州であり、特に東部地方は 本国への食糧供給の為の一大穀倉庫としての役割をになっていました。 当時はシチリアは今とは違い森林が緑なす豊かな島であったと言います。
ローマ時代になってもその“食糧倉庫”としても役割は変わることなく、 ローマ政府の植民地搾取政策の陰で粗末な食生活を余儀なくされるのです。  そしてここに歴史的なイタリア食文化の2大潮流が始まったのです。 いわゆる“Cucina Ricca”(金持ちの料理)と“Cucina Povera” (貧乏人の料理)が。
 ノルマン統治時代に入るとかの地から新たな産物が持ち込まれるようになります。 一例を挙げると、“baccala'”(塩漬け鱈)、“stoccafisso”(干し鱈)が そうです。これらの品はいままでのこの島の料理をよりヴァラエティー豊かなもの にしました。

 そして一番重要なのがアラブの影響で、彼らはいままでになかった エキゾチックな強烈な西方の味覚をこの島に持ち込んだのでした。 西暦827年にアラブはシチリア征服を開始し、最初の都市“Mazar”そして “Marsala”を手に入れました。ちなみに“Marsala”は“Mars Allah” (アラーの町)がその語源です。西暦902年に“Taormina”を支配下に入れ 全シチリアをその掌中に収めたのです。
 アラブの文化がシチリアに根付くのにさしたる問題も起こりませんでした。 首都パレルモはモスクが建ち並び、港は地中海の重要な交易場として活気づき、 華麗なる芸術、文化が咲き誇り、食文化もその恩恵に浴したことは言うまでも ありません。
 目新しい農作物がその栽培法と共にこの地にもたらされました。 サトウキビ、米の栽培、柑橘類、ザクロ、ピスタッチオの植樹。まさに農業生産に おける目覚ましい技術革新でした。そして、さらにはイチジク、葡萄の乾燥法、 オリエントのエキゾチックな香辛料の登場。“canfora”(樟脳)、 “macis”(ナツメッグの皮)、“muschino”(麝香)、“zafferano”(サフラン)、 “cardamomo”(カルダモン)、“canella”(シナモン)など。
 さらに忘れてはならないのが食卓を豊かに彩った数々の色彩豊かなドルチェ達です。 “crspelle di riso”(米のクレープ)、“marzapane”(アーモンド粉で作られた 精巧なフルーツ)、“sorbetto”(シャーベット)、“cassata”(カッサータ)、 “torroncini”(ヌガー)など。

 スペイン統治時代には過度とも思える華麗な装飾のバロック様式と共に、 ドルチェを筆頭に料理においても華麗なデコレーション、きらびやかな色彩という 技法をもたらしました。“Pan di Spagna”(ビスキュイ、ジェノワーズ)も この頃発明されたと言われています。今ではスペイン本国で作られていないような お菓子が脈々とここシチリアで作られているのを何度か目にしたこともあります。 フランス統治時代にはその技法はさらに進化し “pasta frolla”(練りパイ)“timballo”(タンバル型パイ)などが登場します。

 ローマ時代にお話しした、“Cucina Ricca”(金持ちの料理)もこの頃には姿を 変えて華麗に花開きます。貴族階級のお抱え料理人“Manzu'”(フランス語の “Monsieur”が語源)の活躍です。彼らはフランスからの影響を強く受け、その 料理技法は一般大衆の料理とは別世界の究極の料理人達でした。やがて彼らの一部は 中産階級の元で仕え厨房で腕を振るい、“cuochi di paglietta”(帽子を被った 料理人)と呼ばれました。“Manzu'”は今ではほとんど姿を見ることは無くなり ましたが、タスカ伯爵家“Conte di Tasca”では今でも現役で腕を振るっています。

 他方“Cucina Povera”(貧乏人の料理)は露店商として市場や街角で店を出し、 “friggitorie”(揚げ物屋)、“polipali”(茹で物屋)、“focaccerie” (パン屋)などとして一般大衆の毎日の胃袋を満足させていました。 今でも威勢のいい声が飛び交う mercato(市場)に行けば、必ず見つけることが出来る でしょう。Palermo 市内の mercato“******”の屋台でビールを片手に臓物入り サンドイッチをつまんでいると、シチリア人の幸せをちょっぴりだけ感じた気がする のは何故でしょうか。

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