STAGE4  ミホークそしてシャンクス  その光景はミホークの笑いを誘った。  シャンクスが、右手を上げて近づいてくるのだが、鬼たちの領分である闇の中をまるでお構いなしにニコニコと笑って歩いている。もちろん鬼たちはこの見知らぬ侵入者にいきり立ち、次々襲いかかっている。が、どんなに殴っても蹴ってもまったく効き目がなく、足にからみついてもそのまま引きずられるありさまだった。  結果、ミホークのいる円の前に着いたシャンクスは、頭と肩に数えきれない鬼を乗せ、手足に何匹もの悪霊をぶら下げ引きずり、それでもニコニコ笑っている奇妙な恰好になっていた。  「よーおミホーク。オマエ、そんなせまいトコで何やってるんだ?」  言った端から子鬼がポカポカ殴っているがシャンクスはまったく気付いていない。  これには女も腹を抱えて笑っていた。「おかしいよ。アンタの友だち、おかしすぎる」  ミホークも笑っていた。「そう言うな。これがこいつの良いところだ」  「おい」とシャンクス。「俺が来たのがそんなにおかしいか」  「いや、ずっと待っていた」ミホークは応えた。  女はミホークの肩の後ろへ隠れた。この赤髪の男の目に自分が映らないことは分かっていたし、二人のおかしなやりとりを妨げる気もなかった。  「なあミホーク」  「む?」  「オマエ、大丈夫か?」  こんなところで、しかも体じゅうに鬼をくっつけた男に言われても困る、とミホークは思ったが口には出さない。  「好もしい状況ではないな」結局そう返す。  「ヤバイのか?」  「そうともいう」  「何がヤバイ」  最強の剣を操る指が、さらりと足元を指した。シャンクスが下を向いた拍子に頭の上の鬼たちがすべり、ぼとぼとと落ちた。  「円?」とシャンクス。  「いかにも」ミホークが頷く。「俺が無事でいられるのはこの円の内のみよ。外へ出れば鬼どもが我が名呼んで引き倒しにかかる」  「それで?」  「俺は帰り道をなくした。元来、俺のよりましとしての力は弱いのだよ」  「だから俺を呼んだんだろ?」  ミホークの眉が、くっと上がった。  「てめえが素直に助けてくれって言えない種類の人間だってことはずっと前から知っていたさ。とはいえ俺も帰り道なんて知らないぜ?どうする」  「それは問題ない」赤い目が笑った。「ぬしには見えるであろう?」  シャンクスは振り返って目を凝らした。  見えたのは、幽かにけぶる煙草の煙。  「あれは」  ミホークが頷いた。「ぬしを待つ者だ」  すう、と呼吸につれて煙草の火が色を強くしたのが分かる。煙、火、何よりその呼吸のリズム、何もかもがシャンクスの知るとおりの――  「名は呼ぶな」ミホークが制した。「その火を目ざせばぬしは帰れる。しかし俺にはその火は見えぬ。向こうもぬしを導くことはできるが俺を見ることはできぬ。つまり両方を見ることかなうのはぬしのみというわけだ」  「ははあ、それで俺を引きずりこんだんだな。俺とあいつの『組』が必要だったんだ」  「相済まぬな」  「いいってことよ」シャンクスは笑った。「じゃ、帰ろうか」  二人の視線は円の縁に落ちた。  ミホークのブーツが、慎重に一歩だけ外に出る。  「ミホーク!出すまいぞ!」  襲いかかる悪鬼の群れにその足が止まった。耳が呪いの大音声にふさがれ、目が異形の凝視に遮られてシャンクスの居どころさえ掴めなくなる。  すかさず、黒刀が引き寄せられた。円の内で刀であったその身は円の外へ出された部分から一匹の黒い蛇に変化し、ミホークの右腕に絡んで伸びると悪霊を噛みにかかった。しかし悪霊の数が圧倒的に多く、蛇はミホークの身をからく守るので精一杯だった。  女が、後ろからひっぱってミホークを円の内へ戻した。蛇も黒刀の姿に戻った。  「ミホーク!」戻ってはじめてシャンクスの声が分かった。その顔から笑みが消えていることに気付く。  「なんてこった。一瞬オマエが見えなくなったぞ。えらいもんに取り囲まれてるな」  「ぬしもな」背後で見つめる女にミホークは大丈夫と頷いて見せた。  「大丈夫じゃねえよコレは」シャンクスが呟く。  弱き者ならば、とミホークは内心で思う。今しがたの光景を見るなり恐慌を引き起こして一目散に逃げ出していただろうに、それをしないばかりかまだ自分を連れて帰ることを諦めていない。  ミホークの手は、自然とシャンクスの方へと伸びた。鷹の目でどれほどに見つめても決して怯えぬその心力を失いたくはない。だから答えはおのずと決まり、迷いはなかった。  「ぬしひとりでゆけ、我が友よ」  は?と頓狂な声が返る。  ミホークの頬が笑みをたたえた。「俺は行けぬ。だがぬしひとりなら――」  殴られた。  「ぬしはここで死んではならぬ」  また殴られた。  「待つ者を悲しますことはできぬ。聞き分けろ」  まだ殴られてミホークはとうとう黙った。シャンクスの髪はざわざわとうねり、炎のような赤に輝いていた。  その髪にシャンクスは手櫛を入れた。指の間に髪が一本挟まって抜けた。  「手を出せミホーク」  言われるままにするとシャンクスは髪を唇にくわえてミホークの手首を掴んだ。そしてその髪をミホークの小指のつけ根にぐるぐる巻きにして赤い輪を作った。  「俺はぜったいオマエを連れて帰る。オマエは耳の穴に唾塗って、目ェ閉じて俺に任せろ。俺がオマエの手を引いていく。もしさっきみたいに鬼どもがたかってきても」  シャンクスはミホークの手を示した。「この俺の赤髪があれば俺はぜったいにおまえを見失うことはねえ。俺の髪の赤はぜったいに消えねえからだ」  帰れる、とミホークは確信した。それなら帰れる。  「ぬしは大した男だ」  「今ごろ気付いたかバカ鷹め」  シャンクスが笑った。 エピローグ  ゴーイングメリー号  一瞬、濃い霧が甲板をよぎり、それが晴れたときには凪が戻っていた。  出たのか、あの海を  ゾロは海を、それから空を見た。海はどこまでも平らかで、太陽は、その位置から見て朝を迎えて少し経った頃らしいと分かった。朽ちた船は一隻も見えなくなっていた。  そして、振りかえると仲間たちがいた。  ルフィ、サンジ、ウソップ、そしてナミが、それぞれあっけにとられた顔でつっ立っていた。  しばらく誰も口をきくものはいなかった。  青の色を取り戻した空が、海と、ゴーイングメリー号の甲板の上に柔らかい日の光をさんさんとふり注いでいる、普通の朝だ。  「よお」ルフィが言った。「生きてるか?」  「どうやらな」サンジが頷いた。  ウソップは肩に手をやり、傷のないのを知って、ははっと小さく笑った。ナミは後ろを振りかえり、そしてうんとだけ応えた。  「ミホークは」ゾロが呟いた。だがゾロにはそれと同時にまたあの赤い髪が脇をすりぬけていくのが感じられた。  その右腕には鷹。  ルフィの目に気付いてゾロは「大丈夫だ」と応えた。そう言ってニッと笑ってみせる。「全部済んだよ」  「そうか」ルフィが言った。「ゾロも誰かに会ったのか?」  ああ?とゾロの眉が持ちあがる。「何で」  ルフィはしししと笑う。「俺は会ったからさ。すっげーいい夢を見たんだ」  「夢、か」靴音を響かせてサンジが背を向けた。「いいといえばいい。悪いといえばクソ悪い」  黒いスーツの背中にルフィが問いかけた。「それはいいってコトだな?」  だがサンジは応えなかった。  「サンジ君」ナミが笑って見せた。「アタシ、のど乾いちゃった」  「あっ、オレ、肉―っ!」  「オレサマも腹減ったーっ、朝飯アサメシーッ!」  デッキの階段を上りかけたサンジが足を止める。立ち直りの早いやつらだぜ、と呟くがそれは仲間たちには聞かせず、ハイハイとだけ言ってまた階段を上る。だが自分の靴音がいつもどおりにコツコツと響くのは気持ちのいいことだったんだな、とそんなことを考えた。  「オイ」サンジが振りかえった。「クソ剣士も今食うのか?それとも朝のトレーニングとやらの方が先か?」  「今食う」ゾロの目が笑った。「俺もさすがに腹が減った」  「へっ」  サンジの肩がそれでやっと揺れた。  「んんっ、よいよっ!」ルフィが気持ちよさそうに伸びをした。 エピローグ  バラティエ  まぶしい  シャンクスは目を開け、きらきらと輝く光の草原のようなものを見た。天国かと思ったが、よく見たら朝日の当たった毛布の毛羽だった。  首が痛い。寝違えた、と思う。  頭を上げ、自分が椅子に座ったままベッドの縁に引っかかるように眠っていたことに気付く。  そこではっと思い出した。  ミホークの体は目の前に横たわっていた。口元に耳を近づけるとわずかに息の音がしてとりあえずはホッとする。  「おいっ、鷹の目」  険しい眉を寄せて、ミホークが身じろぎをした。赤い目が開き、おぼろなままシャンクスを映す。  「よお」シャンクスは笑んで見せた。  ミホークも口の端を吊り上げて見せたが、それだけでまた目を閉じてしまった。  だが、見たこともないくらい穏やかな顔をしていた。  シャンクスは立ちあがって伸びをした。デスクにのせたろうそくはまだわずかにろうを残していたが、火は消えていた。  その先の本棚にのせられた写真立てが不意に目に入った。少し若いゼフが金髪の少年とともに写っていた。背景はこのバラティエの魚の船首で、真新しかった。シャンクスは小さく笑い、まだ痛い首をさすって部屋の扉を開けた。  廊下のベックマンと鉢合った。  あいかわらず煙草をくわえている。シャンクスの足音を察していたのだろう、出てきたことには驚かない様子で立っていた。  よお、と言うと、うん、と返す。  ただそれだけだった。  昼と夜が通常営業のレストラン・バラティエでシャンクスたちは朝食を食べる幸運に恵まれた。それはゼフ自身が盆の一つを運び、ゼフの部屋をダイニングにした特別な朝であった。  部屋の中央にコックたちが折りたたみのテーブルと椅子をととのえ、そこにシャンクス、ベックマン、ヤソップの三人とオーナーゼフが掛け、ミホークにはさらに特別にベッドの上に銀盆が用意された。  「うるわしきオーベルジュのごとくだな」壁に立てかけられた黒刀がなければ、これがあの世界最強の剣士、鷹の目のミホークとは誰も思わないだろうな、とシャンクスが言ったとおりに、その表情はやわらかだった。  メニューは、野菜のテリーヌに鶏ガラのスープ、甘いいり卵とマッシュポテトの温サラダに、カリカリに焼いたベーコンの塩味とピクルスの酸味を利かせたもので、焼きたてのとびきりのくるみパンには自家製の美味しいバターが添えられ、紅茶の湯気とともに高く香りを立ちのぼらせていた。  「でさあ」シャンクスのフォークがミホークを指した。「結局、向こうの連中は無事に抜けたのか?その、迷いの海を」  ああ、とミホークは頷く。「船も乗員も皆、無事だ。今ごろは妙な夢を見たと思いつつ、いつもどおりに過ごしているだろう」  「いつもどおりって」とヤソップ。「鷹の目サンが命がけで救い出したってのに、夢だったの一言で片付けられちゃあんまりでしょう」  だがミホークは小さく笑った。「いや、むしろその逆なのだよ」  「逆?」  赤い目がヤソップを見た。確かに笑っているとヤソップは思う。  「救われた者はそのこと生涯忘れぬ。だが救った者たちはあるいはそのことに気付きもせぬ。そういうものだ」  「それは、俺が息子を救えたって意味なんですかい?」  「息子と、そしてこの俺をな」  本当に?とヤソップの目がミホークと、そして自分自身に向かって問いかける。「いったい向こうで何があったんです?」  紅茶の立てる湯気でミホークの視線が遮られた。「それは俺とてつぶさには知れぬこと。だがいずれぬしの息子がぬしに語るだろう」  ミホークはゼフをみやった。「ぬしのサンジもな、赫足よ」  ゼフの気色が面白いほどに変わり、その目が正面きって鷹の目を睨みつけたが、それはやはりやすやすとかわされる。それでも彼本領の蹴り足が出なかったのは病み上がりの者への配慮というだけではなかった。  シャンクスが言った。「なあ鷹の目よ。それで俺は向こうで何をしたんだ?」  サラダにがっつく仕草が子供っぽさを残しているが、それは利き腕があったころからそうなのだということを、テーブルにつく全員が知っている。  「赫足は教えてくれなかったんだよ。何か俺には特別な役目があったらしいじゃないか」  「特別か」ミホークは左の手のひらを見せた。身の丈ほどの大刀を扱いながらまめ一つない手のひらが、シャンクスにかざされた。  「見えぬか?」とミホーク。  「何が」とシャンクス。  絶対に見失わないと言ったのに――  「やはりな」ミホークは嘆息した。「救った者は気付きもせぬ」  くくっ、と笑ったのはゼフだった。それがしっぺ返しだよと、内心可笑しく思ったのは言わずにおいてやる。  「ともあれ」ゼフは、目にくまのある顔をミホークに向け、顎をしゃくって見せた。「それはどうなんだ?」  ミホークは盆の上を見た。「美味いな」  ゼフは鼻でふんと笑った。「テメエでも、生きてて良かったと、ちったあ思えるだろう?」  スープの熱いカップを両の手のひらで包んで、ミホークは中を覗きこんだ。琥珀の色の中に自分が映っていた。  「ああ」  そう言ってミホークは咲くように笑った。  その昼、赤髪の船とミホークの船はバラティエをはなれた。  さわやかな風に船足も順調に進み、午後になってミホークはまた浅い眠りにひかれた。  女が、現れた。  くわえ煙草で微笑んでいる。  ふりそそぐ陽光の下、その姿はミホークの胸をうつほどに鮮やかであった。  女の手がミホークの背中に回り、柔らかな抱擁を贈る。ミホークも穏やかにそれを返した。  今こそ  ミホークは女を見る。  ぬしの名を呼ばせてくれ  強き者、素晴らしき海  さらば我が友、ベルメール――                                         終