『ローグタウン妖刀譚』  始まりと終わりの町。  人はこの巨きな街をそう呼んでいた。  グランドラインへの入口、リヴァースマウンテンに近い島にある、ローグタウン。  二十数年の昔、生まれ故郷のこの街でついに処刑された稀代の男、ゴールド・ロジャーを記憶に留め続けることで、この街はあらゆるものを引きつけ、そして成り立っている。  人、もの、情報、交易。  そして災い。  実際この街は嵐が多い。島を直撃して荒れ狂う天候の嵐ももちろんだが、単なるいざこざとは呼べない争乱もまた、後を絶たなかった。しかし、荒天に備えて街の造りが頑堅にできているのと同じかそれ以上に、街の人々の気質もまた剛健なものであったから、他の街なら暴動になるようなことでも、海軍や警察任せにせず、市民もまた一丸となってあたり、カタをつけてきた。この街を知る者にしてみれば、ここから海賊王が出たというのも納得できることであった。  それでも時に、数年に一度は、この街を驚かすほどの事件が起きる。  もちろん、その筆頭として人の口に上るのは、かのゴールド・ロジャーの処刑だが、いちばん最近に起こった事件、すなわち三千万ベリーの賞金首・麦わらのルフィの脱出劇もまた、街中が目撃し、翻弄された一大事として、半ば誇らしげにも語られている。  その一つ前の事件として挙がるものもまた、決まっていた。だがそれは酒場で快活に話される類のものではなかったので、麦わらの一件を得た後のこの街ではもはや滅多に聞かれるものではない。  事件のあった年を尋ねても、ゴールド・ロジャーの後、麦わらのルフィの前という、きわめてあいまいな応えして返ってこない。まして、その事件でいったい何人死んだなどと聞くのは怪我のもとだ。  始めはささいなことだったと言う。  その日に上陸したばかりの浮かれだった船乗りたちが、別の船の連中と酒場で衝突した。そしてまたありがちなことに剣を抜いての勝負になった。この街では警察を呼ぶまでもない、そんな小競り合いだった。  一方の船の男に一人、やたらと腕の立つのがいて、相手方を全員斬り倒してしまった。さすがにやりすぎだと仲間たちが男を宥めようとして、しかし彼らもまた斬られた。いあわせた者たちも只事でないと各々の獲物を構えたが、そんな猛者たちもやはり同じ運命を辿らされ、酒場の従業員や女性客までもが、逃げ惑う背中や脚を斬られた。辛うじて店の外へ出られた者が助けを呼び、海軍が駆けつけたが、真っ赤に染まった酒場に犯人を見つけることはなかった。  すぐに街中に警戒網が敷かれた。時刻は夕方より少し前だったが、その頃から黒雲がものすごい速さで上空を流れて、その雲の中で魔物が息を吐いているような生温かい風が吹いていた。街は暗紅色と黄灰色の妙な色に包まれて、日没よりも先に暗くなっていったという。  ほどなく海軍は逃走者を発見した。だがそれは、既に自分の血の海に沈んでいて何も語らない死体であった。  最初に違和感に気付いたのは、着任したての若い大佐で、スモーカーという男だった。彼は葉巻二本をくわえてもうもうと煙を立てながら、この船乗りの死体の側に何も、剣やピストルといった武器がないことを見抜いた。  大量殺人を犯した犯人もまた、何者かに殺されたのだと大佐は結論づけたが、この時点で真実に肉迫していたことは、事件の終息後、この新任大佐に誰もが、力だけでなく頭脳においても一目置く結果となる。  武器はどこに。  酒場から逃げ出した者の話では、それは一振りの刀であったと一致していた。サーベルではなく、刀。それも柄から鞘まで真っ赤なこしらえの、一見美しくさえある刀だった、という。  小一時間もたたぬ間に、今度はファッションストリートで通り魔が出た。既に街中を巡っていた海軍の兵士たちがすぐにそれを見止め、阻止にかかったが、犯人は意外にもファッションストリートにおいて客としてなら全く違和感のない、若い女であった。それが手に刀を持ち、自分と同じ背格好の買い物客を斬りつけていたのだ。海軍兵士たちは彼女を取り囲み、見るからに剣の心得のないと知れる、このにわか剣士を抑えこんだ。サーベルで一撃しただけで刀は細い手を離れて落ち、一人の兵士が背後を取って羽交い締めにすると、それで女はもうどうにも動けなくなった。  雨が降り始めて、女の髪と服を濡らしていった。その腰のベルトに挟まっていた鞘を取って、海兵の一人が証拠物件の刀を納める。  だが、次の一瞬で刀は鞘走りをして、再び抜き身の姿となると、あろうことかその海兵自身の手によって女の腹に沈められ、さらに彼女を羽交い締めにしていた兵士の腹をも突き抜けて血に濡れた。  現場に到着した大佐の目にも、その光景は映った。刀を持った兵士本人が、茫然として女と、その背後の僚友と、上官とを見、そして真っ青になって駆け出した。刀は手に持ったまま、その瞬間に辺りを白くけぶらせるほどに落ちてきた雨に紛れて、兵士は煉瓦の建物の間に消えた。  非常警戒体勢は、船乗りから女、そして海兵へと目まぐるしくその標的を替えて、そして夜を迎えた。  人の声をかき消すほどの雨は、二時間を過ぎても勢いを衰えさせることなく続いた。その間に、くだんの海兵が船乗りと同様に死体で発見された。斬りつけられた刃傷が数えきれず、そして刀は発見されず――。  さらに続けて歓楽街で辻斬りが発生した。  「殺してるのは人間じゃねえ。刀だ」  大嵐にも関わらず、なぜか煙の出ている葉巻をくわえた口で、吐き捨てるように大佐が言った。それはまたしても真実を見抜いていた。船乗りと女と海兵と、そして歓楽街で逃走中の若者、その全てに共通しているのは、一振りの刀を手にしているということ、それ以外にないのだ。  「妖刀だ」大佐は拳を握り締めた。  そしてその瞬間、この街を救うある一つの事実に行き当たった。  歓楽街のメインストリートを三方から包囲し、残る一方へ犯人を誘導する指示を出し、手近の数人は別方向へやって、大佐は猛然と駆け出した。  その視界に入った若者の持つ刀の色は、間違いない、赤だった。その瞬間、青紫の雷電が街に落ち、街灯も建物の窓明かりも全てをかき消したが、大佐は若者の位置を捉えていて、獣が狩りをするような敏捷さで襲いかかっていた。  「おい! 刀ァ!」  何度も鳴り轟く雷鳴と、激しい雨の中、それでも大佐の声は街を揺るがした。  「俺のところへ来いっ! 俺の力が欲しくはないか!」  若者の二倍は体重のありそうな、鍛え抜かれた体の躍動を感じ取ったのか、それはやすやすと刃先を返し、まるで若者が自害したかに見せてその首を斬りつけ、そして雨のたまった地面へ落ちた。  大佐はそれを拾った。  その時のことを、後になっても大佐は決して語ろうとはしなかったが、ただならぬことが起きたのは、目撃した誰の目にも分かった。大佐の形相は明らかに変わり、刀の魔力を否定しようと必死に首を振っていたのが稲妻の中にはっきりと浮かび上がったのだ。  妖刀は、それまでの素人とは比べようもなく優れた手を得て、嬉々としたのに違いない。  その時、通りの向こう側に現れた影に、大佐と、彼を操る妖刀はすばやく反応した。  大佐は、自らの派遣した別動隊がやっとで彼の求めた人物を探し当て、引きずり出して来れたことを知って心から安堵し、妖刀は、凶刃なりにも優れた刀として、優れた使い手の放つ力に鋭敏に刃鳴りしてみせた。それらが同じ行動として、その影を見たのだった。  男が一人、立っていた。  雷光の下でもその影はなお暗く、ただ巨大な十字架が一つ、浮かび上がるのみ。  その男が歩を進め、背後の十字架へと手を伸ばす。十字架は刀の姿をあらわして、男の腕から伸びあがった。  黒刀、と大佐は唸る。  鷹の目の男だ、と、背後から海兵たちのざわめきが上がった。この街にいたのか、世界最強の剣士が、と。  すさまじい大音響が、同時に電光と地面を揺るがす振動が、すぐ近くに落雷のあったことを告げた。  それでも、鷹の目の男の歩みは、己に刃を向ける者へと示す死の秒針のように刻まれ続け、わずかな間合いを残しして対峙した。  つば広の帽子が、雨をよけている。長いコートの裾が大きく翻っていた。  「ぬしか。俺を呼んだのは」  「そうだ」と、大佐が応えた。「この妖刀を始末してほしい」  噂どおりの鷹の目が、それを見た。刃の上の地紋は、炎のようにギラギラと光って男を挑発していた。  「哀れなり。迷えるものよ」  男は世界一の技を地上に具現する最高の刀、黒刀を正面に構えた。「己があるじを見極めるが良い。そは血と砂にあらず。剣士ぞ」  黒刀の刃は雷電と同じ青紫色であったが、星ほどにもまたたかず、粛然としていた。  それが、音もなく舞い上がる。  同時に妖刀も、大佐の腕を意のままにあやつって振りかぶっていた。  妖刀の方が速い。大佐が戦慄したのが海兵たちにも知れた。切っ先がごく小さな円弧を描いて速度を増し、鷹の目の男のその目を襲う。  だがそれはやすやすとかわされた。すかさず突きへと変じた切っ先も、男の体捌きがいなし、雨の水滴だけが斬られていく。  「遊ぶなッ! 剣士ッ!」  叫んで次々と刃先を繰り出し、妖刀が世界最強と誉れ高い男の体勢を圧してゆく。それは果たして知らぬ相手の実力を測っているだけなのか、それとも――  「それともお前も負けるのか!」  だが、その大佐の口元から葉巻がなくなっていることに鷹の目の男は気付いていた。叫んでいるのは妖刀の方で、それにとっては葉巻などどうでもよいのだろう。  黒刀の刃が、初めて妖刀と接した。  大佐の腕は小柄な女の胴体ほどにも太く、それが渾身の力で振り下ろされていたが、鋼と鋼のぶつかりあったその瞬間に音はほとんどしなかった。雨や雷に紛れたのでなく、鷹の目の男の太刀筋がそうさせたことに気付いたのはわずかな者だけであった。  シャン、と美しい音が代わりに響いた。黒刀が、下から上へと擦りあがって妖刀を払い、満身の力でのしかかっていたはずの大佐の体までをもあっさりと流したのだった。  海兵たちが、そして大佐自身があっと思ったときにはもう、その体の脇がガラ空きにされていた。両手は妖刀を持ったまま、顔の高さにまで上がっており、足は両方とも地面についたまま。  そのガラ空きの体へ、鷹の目の男の体が、大佐より少し小さいとはいえ、一般的には申し分ない偉丈夫の体が、スッと滑りこむ。  黒刀が、いつのまにか刃を返していて、大佐の胴体を横薙ぎに擦り抜けていた。  そのとき確かに大佐の胴は上下真っ二つに斬り抜かれていた、というのが目撃者たちの一致するところだったが、その次の瞬間には大佐の悪魔の実の能力が発動していて、大量の煙が舞い上がった。その煙が、黒刀の刃の抜けたところを瞬時に塞いだというのだが、それは百戦錬磨の大佐にしても危いタイミングであったらしく、つながった体は平衡を取れず、雨の泥の中へと打ち倒された。  手が、妖刀を離し、投げ出していた。あるいは斬られたことで妖刀の方が見限ったのかも知れないが、ともあれ大佐はそれを拾おうとし、しかし鷹の目の男に遮られた。  今度は鷹の目の男がその刀を手にし、自らの黒刀を背に戻した。  「鷹の目ッ!」  まさかこの世界最強の剣士が、と誰もが戦慄したが、それはなかった。男は妖刀を手にしても微塵も変わることなく、ただ悠然と数歩歩いて赤い鞘を拾い、一度降って水を抜くと、狂った刃をその中へ納めた。  大佐は立ち上がろうとして、なぜかうまく行かないことにいらだち、そして腹の傷が血を流していることにやっと気付いた。体を煙に変えることのできるモクモクの実の能力を得て以来、傷を負うということはありえなかったのだが、世界最強の男の刃の前には遅れを取っていたのだ。もう少し後れていたら、能力を持ってしても生きてはいなかったに違いない。  海兵たちが集まって彼に肩を貸した。大佐は拒絶しなかった。  「鷹の目」  深紅の妖刀を手にした剣士に、大佐は唯一の疑問を投げかけた。「そいつを、どうする気だ」  「今夜だけ、俺が預かろう」  「その後は?」  「知らん」  大佐と、海兵と、そして遠巻きに見ていた街の者全員が不満と不安をあらわにしたが、鷹の目の男はもう興味がないようであった。  実際、妖刀は、先刻までの鬼狂いが一転、叱られて首の根を掴まれた犬のように悄然となって、鷹の目の男の手中に納まっていた。それを見て人々ははじめて、この事件の終わったことを知ったのだった。  その後、鷹の目の男は呼び出される前にいた高級ホテルへと戻り、食べ損ねたメインディッシュは諦めて、夜食を軽くつまんで眠ってしまったと、ホテルの従業員たちが語った。その夜食を好奇心がてらで運んでいった向こう見ずな若いウェイターによれば、その時、鷹の目の男は風呂あがりの姿で、くだんの妖刀はベッドの上へ無造作に放ってあったのだが、泥も水もすっかり拭い去られて、手入れされたあとだったという。  翌朝、男がチェックアウトする時には、手にした妖刀よりも、背中の黒刀の方がよほど恐ろしく見えたのだから、不思議なこともあるものだ、とはその従業員たちの証言であった。  そして。  鷹の目の男は、前日の嵐が嘘のように晴れ渡った海へと船を出し、その日のうちにローグタウンを去って行ったが、妖刀は持って行かなかった。  後日、それもひと月も過ぎた頃に武器屋から海軍へと連絡が入り、かの妖刀がウチにある、と通報してきた。人々が平静を取り戻してきた時期だけに、大佐自身がすっ飛んで駆けつけたが、そこで目にした光景は、なぜひと月もの間、それが誰にも気付かれなかったかを充分に物語っていた。  妖刀は、五万ベリー均一のガラクタ刀ばかりを差したタルの中に納まっていたのだ。  もちろん、ひと月の間にそのタルを物色した客は何人もいたというのだが、それでも誰の目のも止まらなかったのだろう、そのくらい様子が変わっていた。  葉巻の煙とともにうなり声を洩らしながら、大佐はその妖刀を手にした。周囲の制止をよそに鞘から抜いてもみたが、あの炎のような刃紋はそのままなのに、鷹の目の男が手入れして薄く丁子油を塗った姿はまるで毒気が抜かれていた。  確かにまだ、人ならざる意思が伝わってくるにも関わらず、かつてのような狂いぶりがないのは、ひと月もの間、発見されずにいた理由は、刀自身が納得ずくで大人しくしていたからだ。 納刀して、大佐はそれをタルへ戻した。  ここが、いつまでかは知らないが、この刀がいるべき場所なのだろうと思った。だから、怯えてわめき散らす店主には悪いが、定期的に立ち寄るという条件で置いてもらうことにした――と、大佐はのちに、酒席か何かでそう言ったと伝えられている。  数年後。  妖刀――三代鬼徹は、一人の男の手によって五万ベリー均一のこのタルを抜け出すことになるが、大佐がそれを知るのは、おそらくはずっと後のことになる。