戻る 第7章  ミホーク一敗、シャンクス現る   前章 


 鰐王クロコダイルの力を借り、地底の水脈を通って鷹王ミホークは己が領地の湖水へと舞い戻った。入る川はなく、大きく裂けた湖底より湧く地下水のみを湛えるこの湖が、あるじたるミホークを迎えていっそう清冽になる。
 おりしも月の中天に差し掛かる頃に水の中から現れ、鏡のように輝く水面に立ちおりし鷹王は、そのまま歩いて森のわずかに開けた湖畔へ上がった。黒の帽子とマントの姿は水に濡れてはおらず、砂漠の国の夜刻を歩いた時そのままの黒の色であった。

 懐の中より出し、草の上へと横たえさせた人間・ゾロもまた、マントもシャツも濡れてはいない。
 息をしていないのは溺れたためではなく、アラバスタの神殿で鷹王の黒刀に命抜き取られたことによる。
 その黒刀が、月の光を照らす角度でゾロの胸の上へかざされた。

 「目を覚ませ」
 ちらちらと揺れた光がゾロの胸へと注がれ、消える。ほどなく呼吸が戻った。
 「!」
 目覚めたゾロが腰の刀に手をかける。しかし黒刀の切っ先は変わらずゾロを捉えていた。
 「その刀、千尋の湖底へ捨ててもよかったのだぞ」

 ゾロには致し方なく、その場で胡座を組むだけとなった。「なぜ俺は『生きてる』んだ」
 鷹王は黒刀を納めた。「我が手足とするため」
 「俺はお前を倒して、くいな姫を連れ帰る」
 ゾロが不敵に口元を歪めるのを、鷹王がさも意外そうに見た。「まだそのようなこと言う心が残りおるか」
 瞬間、ゾロはバタッと大地に掌をつき、頭を垂れていた。己が意志ではもちろんない。それでも身体が鷹王をあるじと認め、その赤き瞳の前に低頭せずにいられなかったのだ。

  我が生殺与奪の法に従え
  これより与ふるは我が従僕としての命

 「我に従え」鷹王の命令が、今や絶対の響きを持ってゾロの耳に刺さる。
 「俺は」とゾロ。「あの時、死んだのか?」
 「いかにも」
 ゾロはシャツの真ん中にあいている穴に手をやった。その下の肌に今は塞がった傷痕があるのだが、それは脈打つ心臓の真上であった。
 少しは対抗できるものと思っていた。なのにあんなにあっけなく殺されたというのか――

 「邪魔が入ったようだ」
 鷹王が見やる繁みの闇を、ゾロもものの殺気と感じて見る。
 土中よりかげろうのように沸き立ちしは、闇よりも黒い亡妖の群れ。
 ゾロは笑った。「オマエ、領民に慕われてねェな」
 鷹王にしても、ふんと気に食わぬ風を見せる。「だが新たなる下僕の働き見るには丁度よい」

 そしていとも簡単に引き下がった。「斬れ、ロロノア・ゾロ」
 「誰がオマエの命令なんか――」
 それでもゾロは抜刀していた。襲いかかってきた下妖を斬り抜けるより他になかったのだ。
 だが妖王の手足となることへの苛立ちは、一刀一斬ごとに身を貫く悦楽へと変じてゾロを震わせた。あるじたる鷹王の命に従い奉仕することが、鷹王の術に縛された今の身にはえもいわれぬ喜悦であったのだ。

 辺りを囲んでいた下妖が霧散したのはあっというまで、ゾロはそれを少し残念にさえ思った。
 「よくやった」鷹王はゾロの体が震えていることを知っていて、褒美の言葉さえ与えてみせる。
 くそっ。狂おしい恭順の波の中でゾロは毒づいた。

 チリン……

 その時何かがあえかに音を立てた。胸の奥でそれはまるでもう一つの心臓のように響きだしてゾロの心の中に力を蘇らせる。
 音は果たしてアラバスタの神殿で手にした銀の鈴音であった。雷神エネルの授けた鈴が、ゾロに妖王の縛に染まぬ力を与えているのだ。
 体が、己が意志の力に従うのが分かる。ゾロは妖王を見た。湖畔の森の向こう、月の浩々と照る己が城を臨むさまは、ゾロの変化をまるで気づいていない。

 今なら、やれる
 ゾロはくいなの白銀の剣を握りしめた。この神剣なら妖王を倒せる。

 その瞬間、迷いは消えた。
 二歩で妖王に迫ったゾロが、神剣の切っ先をその黒いマントへ突き通す。それはあまりにあっけなく、すう、と妖王の胸へ真白く生え延びた。
 それを見た鷹王の赤い目に、白い光が差し映る。わずかにではあったが、その顔貌に驚きの表情が宿ったように見え――

 次の刹那、妖王は黒い灰となって崩れ、湖畔の黒い土の上にざらりと降り積もった。

 「やった!」
 思わずゾロが叫ぶ。
 だが間髪を入れず風が起き、その灰が渦となって舞い上がると、中から赤い光が放たれた。それはゾロを圧して後ずさりさえさせた。

 「ハッハッハ! よくやった!」知らぬ声が朗々と響き、光が鮮やかに辺りを照らす。
 それが人の目にも見えるほどに納まった時には、赤の色の髪を持つ男が形をなして立ち現れていた。
 黒いマントをはおっているが、妖王ではない。闇の妖王とは対照的に眩しく人の目を眩ませて輝く、それは別の妖(あやかし)であった。

 それがゾロに人懐こいほどの笑顔を向けてみせた。「お前、よくやったな。だがちょいと厄介なことにもなったぞ」
 男の示すまま辺りを見ると、月が暗紅色の雲に隠れ、湖面が風とともに荒れ出していた。森も蠢き、地が揺れている。
 「何だ?」
 「お前が『重し』を壊したせいで、ここらあたりの『秩序』が乱れたのさ」
 「重し?」

 だが赤髪の男は答えず、その場にしゃがみこんで、妖王の黒い灰の山をかきわけていた。「あった」
 拾ったのは、赤い目玉が一つ。それが男の掌に乗るや鮮やかに輝き出し、先ほどゾロを圧した光のように辺りを圧する。男がそれをかざすと前方に路がひらけた。

 「行くぜ」
 言うと男はどこにそんな力があるのか、ゾロをひょっと小脇に抱え、猫のような機敏さで駆け出した。前後左右天地あらゆる方角から邪気が迫るのをゾロは肌で感じたが、男が掌の赤い目玉をかざすとそれらが怯えてさがってゆく。男の髪が赤の輝きを増し、吹き上げる風に軽やかになびいた。

 「ハッハッハ!」
 男が心から楽しそうに笑う。そのまま一気に風を捉えて空へ、森を越えて鷹王の城の壁をかすめると、その城の最高所、尖塔の上端にある大きな十字架の上へと昇りつめた。
 十字架の頂部には一抱えもある青紫色の宝玉が一つ据えられている。だが大きいといってもゾロ一人が尻を乗せるがやっとで、赤髪の男は風に身を任せたまま、宙に浮いてとどまった。

 「いやあ、面白かった」男は宙に胡座をかいた。「ミホークにしても、まさかこうなるとは思わなかったろうな」
 だがゾロは仏頂面。「アンタ誰だ」
 男は満面の笑みで答える。「俺? 俺はシャンクス。『赤の妖』のシャンクスだ」


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