連載小説 『鷹王の帰城の物語』 第6章  二人の少女 くいなとロビン  実際、妖(あやかし)の王・鷹王が人一人抱えたごときで移動に他者の力を借りるなど前代未聞の椿事であったのだが、かのくいな姫をその生国より連れ去った際には、それこそ風の一吹きで己が領地へ舞い戻ったものである。  時を、その日へと遡ろう。  くいな姫が妖王の闇の懐中でほんの刹那、目をつむり、そうして開けた時、周囲は一変して石造りの西域の城となっていた。降り立ったのは空中庭園の黒曜石の石畳で、しかし一点曇りないその鏡面に二人の姿は映りこんでおらず、姫は己が御境遇も忘れて、こんな不思議があるのかしらと思された。  人の背丈の三倍もあろう硝子の大扉が開くと、あるじたる鷹王は姫の手を取り、姫の歩幅に合わせた足取りで己が城へと進み入った。お帰りなさいませ、と、年老いた執事の声ひとつが出迎える。が、それがどこの闇から発せられたのか、姫には判じ得ないほどの深い闇の続く廊下を二人は進んだ。  生国では室内に靴を履く習慣がないので、自らの居室より来た姫は素足であったが、その小さな細いつま先がじゅうたんの深い毛足に沈んでゆく。そその他は硬質な印象の城内では姫のしなやかさがかえって異質でさえあった。  「きゃっ」  姫の小さな悲鳴に、手を取っていた鷹王が歩を止める。姫は自らの着物のすそに足をとられて躓いていた。  しかし見ればすそどころか、袖丈も襟ぐりもすべてがすっかり大きくなってしまっている。いや、実際には姫の御体の方こそが小さくなっており、今やその御姿は幼い童女に戻っているのだった。姫は御顔に触れ、その御手の小ささやおみ足のか細さを見つめ、すっかり怯えてしまわれた。  「姫よ」鷹王が膝をついて向き合われる。「相済まぬが、ぬしの姿が『本来』へと戻ってしまったようだ」  「本来?」  「うむ」鷹王は姫の小さくなられた御体を、大きな着物ごと包むように抱えあげた。「すなわちはあの約束の時の姿」  「ああ・・・」姫は嘆息され、鷹王の逞しい首筋へとその身を寄せられた。「ならばあれよりのちの私は貴方の魔法に守られていたのですね」  「守る・・・か」鷹王の闇のマントが翻る。「そこまで我が力及べばよかったものを、隠すが精一杯であったこの不甲斐なさを許したまえ」  くいな姫は涙を流し、ただ一言、鷹王様とだけ呟いた。  人の口からは怖れとともに「妖王」としか呼ばれぬを、「鷹王様」と敬意の称号に慕わしささえこめてお呼び申し上げる。その吐息のかかるや鷹王の首にあった神槍の傷痕はあとかたもなく消えうせた。  そうして二人の着いた部屋は、それまでよりはやや明るく、そして温かなところであった。それはラベンダー色のじゅうたんに少女好みの人形や小箱、美しい装丁の本などが置かれ、黒檀の壁にも異国の絵物語の織物や油彩画などが華を添えるところで――  何よりその中央には先客が、いた。  「あなたは?」鷹王の腕より下ろされたくいな姫が、その先客の後ろ姿に問いかける。  振り返ったのは、姫と同じまっすぐな黒髪の、今の姫と近い年に見える少女で、その大きな黒い瞳が好意にあふれていた。  「私の名前はニコ・ロビン。あなたは誰?」  「――私は、くいな」  するとロビンがパッと笑顔を見せた。「貴方がくいななのね。会えて本当に嬉しいわ」  その目が、姫の背後に立つ、あるじながらにこの部屋には不似合いな鷹王に注がれた。「おじさまったら『いつ会わせて下さるの』って何度聞いても『じきに』ばかりだったんですもの。すっかり待ちくたびれてしまったわ」  鷹王は笑みもない。「姫には礼を失するな、ニコ・ロビン。姫の相手さすためにぬしをここへ預かること承知したのだからな」  踵を返す鷹王を、ロビンはくすくすと笑って見送った。  「やっぱりおじさまは私のことが苦手なのね」  「なぜ?」とくいな。  「だって私は手の妖なんですもの」  妖と聞いて姫は少し堅くなられる。慕わしい鷹王が姿を消したことも不安ではあったが、しかし一方でこの少女の話に興趣も感じられて、姫は問い返された。「手の、妖?」  「ええ」ロビンがうなずく。「おじさまは最強の称号を戴く目の妖だけど、その力に対抗できるのは同じ種族より生まれる手の妖だけだ、ってずっと昔から言われていたらしいの」  「・・・・・・」  「だから私が生まれたとき、おじさまはそれは驚いたらしいわ」  「なら鷹王様はあなたのことがお嫌いなの?」  「そんなことはないわ。私たちはとっても仲良しよ」  姫は首を傾げられたが、ロビンはそれよりもと小走りしてクローゼットの象嵌の扉を開けてご覧じた。「今はまずその着物をなんとかした方がいいかしら。これ全部、あなたのためのドレスなのよ。ジュエリーボックスには素敵なアクセサリーもいっぱいあるわ」  ロビンは次々と、豪華な晴れ着や、美しい服地の部屋着などを引っ張り出す。「他にもほしいものがあったら何でもおっしゃってね。お気に入りのお菓子とか、楽器なども取り寄せるわ」  「ごめんなさい。でも、ものはそんなにいらないわ」姫の答(いら)えは力なく、どころかかえって沈んでしまわれた御気色にロビンは肩を落とした。もちろんロビンにしてもこんなもので姫の気持ちが紛れるなどとは思っていなかったのだが。  「ごめんなさい」姫はへたりとその場に座り込んでしまわれた。「でも私、わかるの。もう私の国には戻れないってこと。お父様にもゾロにももう会えないってことが、わかるの」  ロビンははらはらと真珠の涙をこぼし、二人はしっかりと抱き合った。  「くいなは、おじさまのことを恨んでる?」  「いいえ、いいえ」小さなかぶりが振れた。「だってあの方は、私に十二年の楽しい歳月を下さった上に、今もこうして守ってくださってるんですもの」  そうして気丈にも笑んで見せる。「私、鷹王様のこと、好きよ。あなたもでしょう?」  「ええ」ロビンも笑顔を見せた。「でもあんまり完璧すぎて、ときどき悪戯したくなっちゃうけれど」  「分かるわ、それ」  ふふっ、と微笑んで、二人は互いを見交わした。  「そうだわ」ロビンが言った。「私たち、せっかくお友だちになったんですもの。いっしょに面白いこと、してみない?」  「?」とくいな姫も涙を忘れて顔を上げられる。「面白いこと?」  「そう。ここって何でもあるけれど、ただひとつ、面白いことだけはなかったのよ。だから私、すっかり退屈していたんだわ。でも今はあなたがいる。だから、二人でしかできない面白いことをして――おじさまをちょっぴり驚かしてみない?」  姫はやっとで気安い笑顔をほころばせなさった。「すてきだわ」  といった次第で二人の少女、くいなとロビンの言わば他愛のない悪戯というものが始まったのだが、それは人と妖、それも鷹王自身が目をかけるほどに才長けた二人の少女たちだからこそ成しえたことでもあり、ゆえに『悪戯』と呼ぶには少々度も過ぎていたこと、致し方ないかもしれない。  ともあれ、ロビンに言われて城の執事が取り寄せたものは白金の裁ち鋏と瑠璃の絵の具。  その鋏を使って姫の着て来た着物のすそより六枚の小布を短冊に切り出し、それに姫が左の薬指につけた瑠璃の絵の具で文字をしたためる。  その文字とはすなわち、封、印、閉、塞、遮、そして瞑。  そうしてある日の夜明けも近い頃に、くいな姫とニコ・ロビンはそれを実行に移す。  「あのね、執事さん」  鷹王の寝所へ通じる廊下で姫が白髪の老執事を呼び止めた。  「なんでございましょう」寝所のあるじを気遣って執事の返事はいつも以上に穏やか。  姫は後ろに回した御手に何かを隠し持っていることをほのめかす。ひょこりとロビンも顔を見せた。「くいなが、あなたに上げたいものがあるんですって」  「それは嬉しいですね」  「ねえ、屈んで頂戴」  言われて執事は長い脚を折り膝をつく。ロビンがその背後に回って手を伸ばし、彼の両目を塞いだ。「まだ見ちゃだめよ」  「はい」  だが姫が手を前にした瞬間、執事はえもいわれぬ気配にぞくりと身を震わせた。「まさか」  御免!と一言叫んで執事はロビンの手を振り払――おうとして仕損じる。  手の妖、ニコ・ロビンは二本の手で執事の目を封じ、さらに繰り出した二本の腕で彼の両腕を抱えて封じ、その隙にさらに六本の腕を伸ばして、姫の手にあるかの六枚の短冊を掴み取っていた。  バン!と音をたてて寝所の扉が開かれる。六本の腕が正確に鷹王の寝床、すなわち中空に浮かぶ巨大な石の棺の六面へと一気に達した。  六枚の短冊が、一瞬でその各面へ貼りつけられる。  四側面に閉、塞、封、印、地の面に遮、そして天面にはもっとも強い力を発揮する瞑の符で、目の妖・鷹王を縛さんとする。  だが中で横たわる鷹王にしても寝入りばなを襲われながら封の効く寸前に棺の蓋を押し上げた。それでも封の力の方が刹那に早い。上がりかけた蓋がガンという音とともに閉じ、その衝撃が端にわずかのひびを生じた。  封の力がそのひびへも及ぶのにもう一刹那。  いかな鷹王といえどその一刹那に自らの体を霧としてすり抜けさすは不可能で、ならばこの一瞬に「一部」なりとも逃れねば封印者が封解くその日まで、それこそ永遠にでも閉じ込められてしまう――  その決断から実行までが瑠璃の六面同時封印の秘法よりさらに一刹那早かった。  「ミホーク様!」  執事が叫んだが、それが彼の最後の力すべてで、手の妖、ニコ・ロビンの手四本の封を受けた彼はそれきり一個のレンズに、古い片眼鏡の原形へと戻ってしまった。  くいな姫が驚きつつもとっさに手を伸ばし、はっしと掴んだおかげでその執事/片眼鏡は黒石の床へ落ちて砕ける難を逃れる。  そのレンズに黒い霧がさっと反射したが、見上げた姫の目にそれはもう見えず、あとには瑠璃の光だけが残った。  一瞬のあいだにどれほどのことが起きたのか判じえぬものもあったが、しかし何かとんでもないことをしてしまったような気がしてきて、姫は片眼鏡を握りしめ立ち尽くす。だがロビンは一息ついたかと思うややがて鈴転がすごとくに笑い出した。  「さすがおじさま」  「ロビン」姫は戸惑いながら手の中の片眼鏡を示す。「執事さんが危なく割れてしまうところだったわ」  それでもロビンは笑ったまま。「大丈夫よ。前にも割ったことがあるわ」  「?」だが見たところ、表面には傷ひとつない。  「おじさまが直したのよ」  ロビンは中空の棺を見上げて言った。「おじさまには遊びだわ」  棺は瑠璃の光に包まれ、浮いている。その中が今どうなっているのか、姫には見当もつかなかったが、ロビンの気色からして重大なことにはなっていないのだろう。  「そう、おじさまにはみんな、遊び」ロビンはため息をつく。「いくら『手の妖』と誰もが誉めそやしても、私はあの方にはまだまだ全然敵わない」  ロビンは悔しそうだ、とくいな姫は思される。そして彼女の抱く悔しさを、この私も知っていると、今は遠くに離れてしまった御自身の白銀の刀に思い馳せられた。  手のひらを開くと、あるのは刀ではなく片眼鏡が一つ、金鎖のチリリと鳴いて瑠璃の光を宿している。  その他には音のないこの城の外で密かに夜が明け始めているのだった。