戻る 第4章  ゾロ、計略に嵌まる   前章   次章 


 翌朝。ゾロは美しい歌声で目を覚ました。
 鎧戸を開けると、日差しの強い広い庭園に須荒がどっかり居座っていて、その翼の陰に美しい人影がある。質すまでもなく、この国の王女、ネフェルタリ・ビビであった。
 まさか須荒が人を食ったりはしなかろうが、ゾロはそそくさと着替えて庭へ出た。

 空色の長く美しい髪が振り返り、優しく微笑んだ。「ごめんなさい。翼竜が珍しかったので」
 くいなより年若なこの王女の美しさは、今はしかし彼岸のそれにも感じられる。
 ゾロは応えた。「偏屈で名高い須荒にしても、あなたへは礼をわきまえるようだ」
 「偏屈だなんて」王女は須荒の大きなきんいろの目をご覧じる。「やさしい心の持ち主ですわ。今もこうして私のために日の光を遮ってくれてます」

 見上げれば、確かにその羽は休むには少し不自然な位置にある。
 「でも私は行かねばなりません」
 王女が一歩、日の下へ歩み出た。白く強烈な日差しは今日も暑くなることを示している。だが、宵には贄の儀式へと赴き、雨の代わりに王家の鬼籍に入らねばならぬこの王女にとっては、酷なる白日さえもがこの世の見納めなのだろうか。
 「ビビ王女」ゾロが言った。「須荒の背に乗ってみませんか?」

 そうしてそれきり、王女は行方不明となり、王宮は騒ぎに呑まれた。
 何しろ国を救うための生贄が消えたのである。この国はもう終わりだと泣く者、王女が死を恐れ逃げたのだとなじる者、そして異国の剣士が王女を誘拐し、国の転覆を謀っているのだと言う者までが出て、ゾロは親衛の隊の剣に囲まれ、王の前へと引っ立てられた。

 「王女を隠したのは俺だ」悪びれもせずに言うゾロに親衛たちはいきり立つ。が、既に王宮中をくまなく捜して見つけ出せぬを隠したと言われても手前たちの不仕事を咎められたかのように苦虫噛みつぶす他にない。だからゾロも皮肉に笑った。
 「安心しな。縛ったりとか、苦しい思いはさせてない」
 だが玉座の父王が何の感情も表に出さぬ、そのことだけは逆にゾロの心を傷ませた。

 前夜、王へは遠見の策とてすべてを奏上してあるのだが、万が一にも雨神の機嫌を損ねることあってはならぬと側近たちが反対したのだ。それをゾロがこうした形で押しきったことに、果たしてどのような思いを抱いているのか。
 王は一言、「この剣士を身代わりに立てよ」とのみ告げて立ち去った。それは遠見の策そのままであった。

 かくして宵に贄の儀式が始められた。しかし、午後より風の強くなって、祭壇の幕はあおられ、破れ、壇上の器物も転げ落ちるありさまだったので、刻限にそこにあったのは左右に立ち並ぶ石柱の高い列と、からの祭壇のみという、ためしなき異様であった。

 燭台も立てられぬとて昏い中を、祭壇に立つは王女のケープを頭から被ったゾロと、その背後に立つ国王コブラのみ。
 「雨をもたらす神よ――」王の声が風に抗い祈りを始めた。「今こそ御姿を顕(あらわ)し給え」
 すると果たしてその刹那、一条の青紫に輝く閃光が闇を裂き、王女に扮したゾロの前、祭壇の神の座に飛来した。人の目には眩しすぎるが、人に似た形のあることは知れる。

 それが声を発した。「我は神なり。我を呼ぶは誰ぞ」
 王は跪いた。「これにおりますはアラバスタ王国の王、ネフェルタリ・コブラ、そしてこちらは娘のビビでございます。どうかこの名において国を干ばつよりお救いください」
 「贄は何を寄越す」
 「――、まず先に雨のお恵みを」
 「神に指図するか」

 瞬間、光が圧力を増し、大音声(だいおんじょう)が地を揺るがした。雷電が、左右に並ぶ列柱へと落ちたのだった。
 ゾロはケープを捨てて躍り出た。「お前は雨の神ではない!」
 光の中の顔が、ぎろりと睨む。だがゾロもそれを睨み返した。
 「契約は土地の雨神とのみ交わすもの。お前は祈りの声に惹かれて来ただけの、別の神だ」

 ほお、と光が笑みの形に歪んだ。「王女どころか腰に刀の物々しい勇者とは。しかし、神官でもない若造が、神の尊顔を見極め、あまつさえその名までも口にできると?」
 ゾロは頷いた。「雨神でないことが判ったんだ。名も当ててみせるさ。アンタにしても闇雲な神頼みより、その名を呼ばれた方が徳も上がるってものだろう?」
 「ま、ただのカミサマよりはよかろうな」
 「なら俺がその名を当てたら褒美をくれるか」
 薄青い目がゾロをねめつける。何か思うところのある風だが、ゾロには計り知れなかった。

 「よかろう」光が応じた。「我が名を唱えよ。さすればその胸中の問いにも答えよう」
 ゾロは得たりと笑った。「貴様は空つ国、スカイピアの雷神、エネルだ」
 風が、止んだ。
 エネルと呼ばれた神が、光を減じてその姿を晒す。ゾロよりも二まわりは大きな体躯が笑いに揺れていた。
 「ヤハハハ……これは見事。ひさびさに愉快なるぞ。我も顔が広くなったものだ」

 雷神エネルはその指先から起こした風でゾロの身を取り巻いた。ゾロの、鷹王より受けた胸の傷にちりりと何かの疾る感触があった。
 「ふん、問いはこの土地の雨神の行方か。べつに留守という訳ではないぞ。あれは酔って寝ているのだ」
 王と、壇下に控える重臣たちが愕然とするのをこの雷神は明らかに面白がっている。「だが先ほどの我の雷迎で、さすがの彼奴(きゃつ)も目がさめたろう。ほっといてもやがて雨は降る。にしても物のわからぬ人間どもが右往左往で王女を生贄に差し出して、まったく喜劇茶番――」

 ゾロの白刃の抜刀をエネルはかわしもせず、雷電となって四散した。
 「いやまったく面白し、おもしろし。だがもはや長居なれば帰るとしよう。お前の追い求めるあの男がじきやって来るでな」
 「妖王か?」とゾロ。
 「妖王?」エネルは顎をめぐらした。「鷹王、目の妖……あれにはいろいろな名がある。しかしいかな名で呼ばおうとも、あやつのむつかしげなるは変わらぬ。現に」
 エネルの姿は光芒となって、もはや顔もわからない。だがその哄笑が辺りを占めた。「今しも我を体よく利用してくれおったわ。我は我の意思によりてここへ来しと思えども、まんまと仕組まれ、ひと働きさせられた。いや口惜しいものよ」

 ゾロもまた不敵に笑みを返した。「俺がヤツに報いたら、面白いと思うか?」
 「ヤハハハ……」
 電光は、降臨の時同様、唐突に消えた。
 だが。
 チリン、と小さな音が残る。
 神の玉座に銀の鈴があった。
 ――それをやろう
 拾いあらためたゾロの耳にエネルが囁く。鈴は見る間に溶け紛れてゾロの手のひらへ、まるで雨が地面へ染みるように消えてしまった。

 「!」
 直後、ゾロは胸を占めた異物感に息を詰まらせた。
 鈴ではない。いつのまにかあの黒刀の刃がゾロの背から胸へと生え延びていて、そのまま石畳に刺さり停まったのだ。いつそうなったのかはまるで判らない。だが、膝が砕けてももはや倒れることもなかった。
 石畳に、その血がぼたりと滴り落ちる。コブラ王が何か叫んだが届かない。

 聖域の元来の力も得て、瞬時に結界が出現、完結してゾロを封じ、王は弾き飛ばされた。
 代わりにその結界をやすやすと通りぬけてゾロの前に立ったのは、鷹王ジュラキュール・ミホークで――先刻の雷神とは比較にならぬ恐ろしき気よ、と、王は初めてぞくりと震わされた。

 鷹王の紅い目が、若い剣士の力なき腕を掬い上げる。
 「我が契約の血よ」
 十字の刃に縫いとめられて、その体はひくりとも動かない。目は開いているが焦点を結んではおらず、既に息もしていなかった。

 「我が生殺与奪の法に従え。ぬしが命は今しも尽きぬ。これより与うるは我が従僕としての命」
 長剣がやすやすと引き抜かれたが、ゾロの体は地へ伏せることも許されず、空中に留まり続ける。
 そうして鷹王のいま一方の腕(かいな)にかき抱かれて、ゾロはその闇の中へと溶けこみ、鷹王もろとも地底へと沈み消えてしまったのだった。


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