連載小説 『鷹王の帰城の物語』 第3章  アラバスタの干ばつ  鷹王ミホークの黒い凶刃にかかりながら、しかしゾロは昼の頃には早くも起き上がるまでに気を取り戻していた。それはまさしくゾロの、姫への想いのなせるわざであった。  「ゾロ」  まるで内着のごとくに体幹を覆う包帯の上へ仕度の服を重ねてゆくのを見て、コウシロウ王が言った。「お前を充分に休ませてやれぬこと、すまなく思う」  ゾロはしかしやはり首を横に振った。「もう充分過ぎるほど休んでしまいました」  コウシロウ王は小さくため息をつく。「ならせめて、いくつかのはなむけは受け取ってくれ」  そう言ってまず召したのは、この国で唯一人の「遠見(とおみ)」であった。  この遠見は、年の数こそゾロやくいな姫と同じほどだが、ゾロとは対称的なまでにいくつになっても男らしさの備わらぬ、中性的な青年であった。それが姫よりも髪を長くして顔を伏しがちにしているのが辛気臭いと、ゾロはほとんど口を利いたこともなかったのだが。  「王にも先ほど具申したのですが、貴方にはすぐにでも国を発っていただかねばなりません」珍しく顔を上げた遠見の目は腫れてくまができていた。「西方の砂の国・アラバスタに妖王が現れます」  「いつ」  「七日後に」  「! 今から行っても間に合わねェだろうが!」  しかし王の手がゾロの取って食いそうな剣幕を諌められた。「ですから彼が『須荒(すあら)』を貸してくれるそうですよ」  ゾロは、えっという顔をした。須荒とは、この国の内外古今を通しても同類のない、たった一体のみの翼竜である。これが不思議なことに、王や歴戦の剣士たちをおいてこのなよなよしい遠見一人にしかなつかず、また遠見も過剰にかばいだてするために、王にさえもままならぬものではあったが、しかし恐ろしく速い。  その須荒を、この遠見がゾロへ委ねると言う。  「私も……姫をお救い申し上げたいのです」  「――」  「今から須荒で発てば、三日後にはアラバスタへと着くでしょう。そうしからかの国の名君、ネフェルタリ・コブラ王に謁見を求め、かの国の窮状について尋ねてください」  「それとくいなに何の関係がある」  「関係は……直接にはありませんが」  ガッ、とゾロの手が遠見の襟を掴んだ。「ふざけてンのかテメェ!」  だが遠見も珍しく目を剥いた。「ですが、そうすることで彼奴が現れるのです」  ゾロは手を離した。遠見は結局べそべそと泣き出していたが、その目で「見た」ことに関してなら、この男の力は無双だ。  その時、庭の方で声が上がった。ゾロの旅のために、衛士たちが王下賜の路銀や糧食やらを揃えていたところへ須荒が舞い降りて騒ぎになったのだった。  ゾロを含めほとんどの者が、この翼竜を間近に見たのは初めてだった。広い庭を差し渡して伸ばされた白い翼は、人が両手を広げた長さのゆうに二十倍はあり、その表面には毛並みを持っていながらまるで剣のような光沢があった。そして翼のそれよりも毛足の長い白い体毛に包まれた体は、驚いたことに複雑に編み上げられた籐細工のようであったのだ。  これが本当に生き物なのだろうかと皆が訝る中、遠見が首をかき抱いて何やら話すと、須荒はきんいろの目を細め、ゾロを一瞥した。  そうしてそれだけでゾロをその背に許した。  コウシロウ王がゾロに手ずから荷と、白黒縞柄のマントとを渡し、最後にくいな姫の白剣を差し出された。ゾロは自らの二本の刀の上にそれを挿した。  「ゾロ、くいなを頼みます」  須荒の背の上で、王を見下ろしながらそんな言葉を戴いたことにゾロもさすがに恐縮したが、それを言うまもなく、須荒は飛びあがった。  力強く地面を離れたかと思うと、不意に翼を止めて少し落下に任せる。胸にすうと来る感覚にゾロが思わず須荒の毛を握りしめた瞬間、それは風を捉えていっそう強く羽ばたいた。  ゾロは、遠見以外の者としては初めて、空を行く旅を経験することとなった。  コウシロウと、遠見と、国の重臣たちの見送る姿はあっというまに見えなくなり、庭の芝のあおも、城の威容さえもが刹那に後方へと消え去った。  須荒の羽ばたくたびに、その翼の先がまるで剣の切っ先のように空を切るのが分かる。馬の疾走とも船の航行ともまったく異なって、しかもどこか刃を思わせる翼の圧倒的に速いことに、ゾロの気分はしばし昂揚した。  こんな時でなければ、この楽しさはたまらないものであったに違いない。これをあの遠見が一人占めしていたのかと思うと腹が立つ――  「わッ!」  そう思ったとたん、須荒の体が天地をさかしまにひっくり返ってゾロを落っことした。だがすぐに回りこんだ背中に受けとめて、また何事もなかったかのように飛んでゆく。  「コイツ」  要は遠見への悪態を気取られたのだ。「胸の傷が開いたらどうしてくれるんだ」  拳で叩くとボンと鈍い音がしたが、今度は落とされない。代わりに白い毛がふわふわとゾロを包んで取りこむように動いた。もうどこかにつかまらなくても落ちることがないというくらいに巻きこまれると、温かい海のような感覚に包まれて驚くほど気分が安らいだ。  ――ゾロはよく寝るから  くいながそう言って茶化しながらも素晴らしいラグマットを贈ってくれたことがあったっけ。あれはどこへやってしまったのか。  こんな時にそんな悠長なことを考えてる場合か、とも思うが、アラバスタに着くまでの旅は須荒まかせでどうにもなるものではない。これから幾日をどれほど過酷に過ごすかも知れぬなら――今のうちに休んでおこう。  時折目を開けると、自分が須荒の体の奥の蔓にすっかり絡めとられて、須荒の見せる「夢」にたゆたうていることをぼんやりと知覚する。そのほかは三日三晩をされるがままに流され、眠りとおし、ゾロは空の旅程をついやしたのであった。  砂の国、アラバスタ王国の首都アルバーナは夕暮れとともに飛来した世にも珍しい翼竜に大騒ぎとなった。  それで、というのではなく、ゾロが目を覚ますとその体は驚いたことに傷がかなり癒されており、荷を背負って石畳へと飛び降りてもどこも痛まずにすんだ。  待ち構えていたのだろう、衛兵がすぐに囲んだが、彼らに敵対心はなかったし、コウシロウ王の親書が奏功して、ゾロは厚遇されつつ宮殿入りを果たすことができた。  「あれが、貴国の宝と名高い須荒か」  アラバスタのネフェルタリ・コブラ王は夜餐のあとすぐにゾロを謁見した。見やる窓越しには、空中庭園に腰を据えた須荒の姿がある。  客人のゾロへと視線を戻したコブラ王は、噂どおりの名君であった。たとえぼろの毛布を引っかけただけの姿であったとしても、人をひざまづかせるに充分な威厳を備える王が、今は玉座に宝杖を携え、美しい装束の姿であれば、穏やかな声と眼差しであれ、ゾロをして刀を控えの間に置いてきて本当によかったと思わせるほどであった。  コブラ王は親書を広げた。「これには、我がアラバスタの窮状のため、貴殿とあの翼竜とを使い給え、と記されている」  王の目がゾロを捉えた。窮状、と明言した親書に対し、しかし不快を見せぬのはこの王の器のほどである。  「だが、ご厚情を戴いたとしても、この国の危機はいかんともしがたいのだ」  「と申しますと」  「すなわち人為の及ばぬことゆえ」  ならば天災か、と思ったところに王が言葉を継いだ。「この国にはもう丸三年もの間、一滴の雨も降っておらぬ」  砂漠の国とはいえそれが異常であることは、王の心痛を察すれば異邦のゾロにも知れることだ。  「おそれながら」とゾロ。「名君コブラ王の御為なら近隣の国々も援助は惜しまぬかと」  「しかしこの国の百万の民を支えるには限界がある」王は返す。「貴殿の降り立ったのは、この国随一の広場だが、今はその面影もあるまい?」  そのような、と言いかけて、しかしゾロは詰まる。じっさい、広場は閉まった店や打ち捨てられたものの転がる閑散とした風であったし、それをこの賢王の前で自分が取り繕い、社交に尽くしたところで見透かされることは明らかだ。互いの実力を測る剣士の目は、人間の大きさを知るものでも、ある。  隠すことは出来ない。ゾロは自らの王を思いつつ、この王にも心を委ねることを受け入れた。  「そういえば…」王がやにわに笑みを見せた。「たしかコウシロウ王には姫君がおありだったな」  「は…」  「息災か?」  一刹那前の決意が早くも揺らぐ。一介の剣士が「それ」を告げてしまってよいものなのだろうか。  「事情があるか」先を切ったのはコブラ王だった。  「恐れ入ります」  「実は私もなのだ」  「?」  控えの者たちが動揺したが、王の手の一振りがそれを静める。  「この国を干ばつから救う方法は、あるのだ。知恵者たちの占いの結果、知れたことなのだが」  「まさか」  「我がただ一人の姫を、亡き妃の忘れ形見を神への供物として捧げよと」  「いけません!」ゾロは思わず御前へと走り出ていた。「そのようなこと、決して!」  コウシロウ王や自分だけでなく、この国の王や家臣たちもまた姫を失う哀しみに突き落とされねばならないのか。だいいち、そのような代償を払って得る「幸せ」にいったいどれほどの価値があるというのか。  遠見は、直接には関係ないと言った。しかし、関係ないどころかこれではまったく同じではないか。  まして、ここにあの妖王が現れるというのなら――  もしや、とゾロは思う。  妖王はこの国へ、「贄」を受け取る「神」を騙って出現するのではないか。  ならば自分と妖王が再び交差するのは自明の理だ。  戦おう、とゾロは決意した。くいな姫のことを後回しにするのでは決してなく、くいな姫と、このアラバスタの王女、守るべきこの二人のために戦おう。  ゾロは居ずまいを正した。「そのこと、我が国の遠見より策を預かっております」