連載小説 『鷹王の帰城の物語』 第2章  ミホーク、くいなを連れ去る  朝の日の昇っても王の間の重苦しさに変わりはなかった。  「ゾロが」、とコウシロウ王の声が沈黙を破る。「姫の異変見抜いたことは殊勝でしたね。でもなぜそれほどの大妖の侵入を、この城の守りは防げぬなりに察知すらできなかったのでしょうか」  文章博士(もんじょうはかせ)がこれに頭を下げた。「畏れながら今は御姫君が彼奴を『召されて』おいでです」  何をッ!と激したゾロを諌められたのは他ならぬコウシロウ王で、王は父として胸ふたがる御心地に鉄の如き御自制をかけられて、眼鏡の奥に怜悧な眼差しを見せられたが、そこには常の、春の陽のような優しさ温かさはさすがに消えていた。  王は、博士の分析に首肯された。「ゾロよ、私には少し分かるのだよ」  ゾロもさすがに控える。  「あの子は、剣技に優れ、己に厳しくあらんとするがために、父である私にも、幼馴染のお前にも甘えるということをせずにきた子だ。それは気丈に見えもするが、かといって寂しくないということにはならぬ。むしろ誰よりも一層、己より強い者を求め、そうして己をさらけ出したいと望むのではないだろうかね」  「……」  「その気持ちが妖王を招いてしまったのだというのなら、あれは不憫な子なのだよ」  俺がもっと強くなってさえいれば、というゾロの焦燥をコウシロウは知っていて、ゆえに責めることはしない。だがゾロの決意の火をあえて否定することもなかった。  ――くいなは、この手で取り戻す、と。  かの妖王に立ち向かうとて城と人の守りを固めるにあたり、王はゾロを最奥の親衛に抜擢された。陽力のもっとも高まる正午に神聖の泉での禊(みそぎ)をさせ、白絹の着物と漆黒の鉢巻を下賜されて、王自身と同じ支度をさせる。ゾロの緑の髪を得て、その装束は松に雪の襲(かさ)ね色となり、初めからゾロに約されていたかのようにも見えた。  また、王はくいな姫にも事の次第をあらいざらい話された。  「だからどんなに慕わしく思われても、かの者は妖(あやかし)なれば、今夜は決して応えてはいけないよ」  姫は神妙に頷かれ、自らの分身ともいうべき白剣を胸に抱きしめられたが、それには王は穏やかに首を横へと振られた。  「刀での戦いは、今夜はゾロと私に任せなさい」  姫の眼差しは刹那光った。「私は剣士としてゾロに劣るのですか? 女では最強の剣士にはなれないと――」  「そうではありません。ただ今夜の貴方の戦いは、己が心と交わすものだということです。それは刀ではどうにもできぬ、最も苛烈なものと心得なさいということです」  そうして日の入りを待たずに東の空に赤い大きな満月が現れて、さらに時巡り中天高くさしかかる頃、それはついにやってきた。  闇が翻り、織り目の詰んで美しいマントになると、清冽な香りがあたりを占める。姫のこれまでの招きのもと、通いなれた道がついているのか、城の魔除けを素通りして妖王は直に奥の庭へと足を踏み入れた。  「姫」  だが黒い闇はまだ朧で、玉石の上に浮いている。  「愛(う)い姫よ」  その闇の中に、細く裂ける口と、真っ赤な両の目が突如出現した。濡れ縁に蹲踞(そんきょ)していたゾロが刀に手をかけたが、並び立って神槍を構えるコウシロウ王がそれをまだと制される。まだあれは実体ではない、と。  姫は、無言で室内の白い帳(とばり)の内。  闇が、すうと近寄り、濡れ縁のすぐ前で止まった。  「今宵は無粋な邪魔者がいるな」影が、帽子のつばに軽く指で触れる。「身の程をわきまえぬ騎士気取りと、娘を閉じこめたがる父親か」  くっくっくっ、と今度ははっきりとその体が揺れている。実体が、現れようとしている。  「いざ、くいな姫」  延ばされた妖王の腕を、ゾロの刀が抜きざまに斬り上げたが、それは肘のあたりから生えるように出た鷹のくちばしが捉え、噛み食らって止める。ゾロはすばやく刀を引いて切っ先を外すと即に突いたが、それも鷹の、獣のように太い脚に打ちとめられた。  「くっ…!」  ゾロはもう一本の刀を斬り出した。屈強の親衛の剣士たちさえ負かしてきた二刀流が閃く。しかしそれも妖王は一顧だにせず、体の闇から繰り出す鷹の羽ばたきや爪の一蹴ですべて防ぎきってみせた。  羽根の起こす風が、封印をかけたはずの唐紙と、その内の帳を開き、姫の体に直接月光を浴びせかける。ぶるっと姫の体が一度だけ戦(おのの)いた。  「姫よ、今宵も遊ぼうぞ」  だが姫は無言のまま笑みもない。妖王の貌(かお)からほんの少しだけ、柔らかさの失せたことがゾロと王にも察知された。  「ぬしが、俺を拒むというのか」  髭のある顎が、ついと巡らされる。  「ならば本意(ほい)にはあらぬが仕方ない。姫よ、『約束』を思い出せ。今宵の満月を以って、ぬしは十二年(とせ)の刻限を迎うるものぞ」  姫の顔色が見るまに青ざめ、その御決意がまたたくまに崩れてゆくのが見て取れた。  ゾロが二本の刀を繰り出して、鋏の刃のようにして妖王の胴を捉えるのが同時――  しかし。  姫の細い喉から悲鳴が漏れて。  やがてそれが涙にかわった。  「くいなァッ! 目を覚ませ!」  無力を知らぬ若いゾロが叫ぶ。  それで鷹王が、姫を見つめていた目を一度だけゾロへと向けた。そうしてかの黒刀を背面より抜き払うと一閃してゾロの胸を袈裟懸けに斬り裂いた。  「ゾロッ!」  白い帳に血しぶきが飛び、それを贄(にえ)に禁が解ける。  鷹王が、ついに姫の面前に容(かたち)となった。  そこをめがけて王の神槍が妖王の首玉を奪る。だが鷹王はその聖刃が己が首を灼くのもいとわず、姫へと手を差し伸べると、青白い指で姫の濡れた頬をいとおしんだ。  「姫よ、ぬしのその哀しみに僅かなりとも添えるなら、この忌々しき神槍の我が身抉ることも甘んじよう」  この妖王は、とコウシロウは身震いするが、それでも許すことなどできはしない。槍を握る手をこじり、その傷を深く穿ったが――  「お父様、どうかもう」しかし、姫があろうことか鷹王の手を取り、自らその身を委ねていく。  「どうかもう、この方を傷つけないでください」  その美しい指が鷹王の首へ触れると神槍が弾かれて、コウシロウは尻餅をついた。しかしもう立ちあがる気力が失せていた。  くいなが見やった。「それよりも、ゾロの手当てをしてあげて」  その視線の先のゾロは深手ながらもまだ両の刀を手放してはおらず、しかし仰向けに倒れたまま目を見開いて、やはり愕然として姫を見ている。  「ゾロ、お父様、ありがとう。でも……ごめんなさい」  そうし二人の目の前で、姫は鷹王の懐へおち、ともに闇へと消えてしまったのだった。  あとにはかの白剣が、悄然と畳の上に残されているだけだった。