『血の港』2  「恥をしのんでお願いします。この呪いを解くためにどうか僕と共に戦ってください」  ミホークの目は笑った。「非情なる決断の方を選んだか。その心に応じてやりたいところだが、あいにく俺はぬしには雇われぬ」  「いいえ、僕一人のためでなくこの村の哀れな人々のために、そしてあなた自身の良心に照らしてどうか」  ミホークの足が大きく一歩退いた。ロカイユも手を離さなかったので紐が切れ、十字架はその手に委ねられた。 金の身を引くと中から刃が現れた。十字架に刀身を仕込んでいたことに、ロカイユは少なからぬショックを受けた。  ミホークは、返せともどうする気だとも聞かず、ただ赤い目で見つめ続けていた。この目に捕らわれた者は謙遜も沈黙も許されず、言うべきことを全霊かけて言わねば造作なく首を刎ねられるのだろう、その気迫にロカイユの身は竦んだ。  「僕は」  貼りつく喉に固い生唾を押しこむ。「この呪いに終止符を打つか、さもなくば自分が今年の犠牲になって一年をやり過ごすか、どちらかを選ぶつもりでこの町へ来ました。もとより命は捨てています」  「ならばそうするがよかろう。ぬしの決意に俺は無用だ」  しかしその時、ミホークの視線が不意に外れた。剣士が、小さいなりにも刃物を手にした人間から目を逸らしたことに、ロカイユも違和感を覚えた。 ややあってロカイユにも戸外に人の近づく音が知れた。いつのまにか少なからぬ人数が近づいていた。  ロカイユは小剣を鞘に納めようとして、自分がまだ細工箱を抱えていたことに気付き、あわてて納戸へ押しこんだ。今、この箱を持ち出しているところを見られたら言い訳が立たない。 取って返してからミホークの脇を抜け、扉を開けた。  港町の主だった男衆が前庭へと足を踏み入れたところだった。教会へ来たというのに手には銛やらナタやらの武器になるものと、そして大小の壷とを持っていた。 日焼け顔の若い漁師が言った。「神父さん、あれを何としてでも葬らなきゃならねえ」  「仮面を壊すおつもりですか?」とロカイユ。「今まで何度も試されてそれは果たせなかったから今年は」  「だから、念には念を入れようってことに決まったんだよ」 男たちが壷を示した。チャプンと音がした。  「焼くんだ」  「ですがそれは」言いかけてロカイユははっとした。彼ら全員の手にある壷がすべて油を運んで来たのなら、その量は仮面一つに対してあまりに多すぎた。  別の男が進み出た。「今日、たった今からあさっての緑の祭りまで、あの仮面を炎と瓦礫の下に閉じこめるんだ」  「瓦礫?」  「そうだ」港湾局長を務める男が言った。「神父さんには申し訳ないが、あの呪いの仮面を封じるためだ。この聖堂ごと、あれを焼かせていただく」  ぱっくりと、それこそ音を立てたかというくらいにぱっくりと、ロカイユの口が開いた。声は出なかった。  局長が言った。「この聖堂ごとあれを燃やして、神の火で封じようと思うんだ。無事明日を過ぎ越せたなら、焼け跡の上に今よりもずっと素晴らしい聖堂を寄進しよう。神の栄光に感謝するために、この町の者全員が浄財と労働を惜しまぬと約束する。だから」  局長の手が黒い僧衣の肩にかかった。その後ろでチャプンと油の音がして、そして数人が脇をかすめようとする。  瞬間、ロカイユは彼らを掴んで引き戻し、戸口を塞いだ。  「駄目です!」  男たちの目が殺気立ってロカイユを捉えた。恐怖が怒りに変わっていた。 「俺たちの命よりも聖堂が大事だって言うのか?」  「違います。皆さん落ちついてください。僕は聖堂が大事なのではありません。建物に火を放つことがどれだけ恐ろしいことか、それを」  「俺たち全員が監視する」「町への飛び火はさせない」「水も用意している」 ロカイユは叫んだ。「それでも駄目です!」  場が、一瞬だけ静まった。おっとりした小柄の若造とばかり思っていた神父の激しい反駁にさすがに戸惑いが広がった。  ロカイユと男たちの間を風が通りぬけた。  「お分かりでしょう?」その風にロカイユが手をかざした。「今朝からずっと、強い風が吹き続けています。春の嵐が来ているのです」  それがどうした、と一人が言った。「万が一、町に飛び火したところで何だというんだ。火事ならいくらでも消せる。建物だっていくらでも直せる。だが呪いは他に防ぎようがないかもしれない。人の命は取り戻せないんだぞ」  「火事で人が死なないとでもおっしゃるのですか」  ロカイユの手にミホークの十字架の小剣が滑り出た。迷わず鞘を引き抜いて、その刀身をきらりとかざすと、詰め寄った輪が一歩引いた。  「仮面は」ロカイユは言った。「僕が命に代えても封じます。皆さんには道を踏み外さないでいただきたいのです」 「神父が刃物で脅す気か」  「いいえ」  ロカイユはそれを自分の首へ当てた。「皆さんのやろうとしていることは誤りです。それでもどうしても火を放つというのでしたら、それは神父として皆さんを正しい方向へ導く職務を怠った僕の責任です」  庭に風が吹く。風向きがよくない方向へ変わったと、ロカイユはなぜか冷静に考えていた。  「皆さん、どうかお引き取り下さい」喉の振動が刃の先を伝って手に届く。「でなければ僕は僕自身の死体をここへ置きます。火をつけるのならこの身を踏み越えて行ってからにしてください」  「なぜです」進み出たのは港湾局長だった。手では若い衆を制し、目では神父を止めようとしていた。「神父さんは仮面の呪いよりも、むしろ火の方を恐れている。年寄りの目にはそう見受けられるのだが」 「怖れてる? そんなものではありませんよ。僕は僕と同じ罪を皆さんに負わせたくない、それだけです。ともかく火を放つことだけは」  その手が急に震え出した。「それだけは止めてください」  ロカイユの目に涙が浮かんだ。  「僕は、子供の頃に火遊びをして故郷の町を焼き尽くした男です。建物だけではありません。親も兄弟も隣人も皆、焼き殺してしまいました。本当なら処刑されるところでしたが、ある神父様に救われて、生きて町を出たのです」  刃が地面に落ち、それを追って膝も崩折れた。  「ロカイユ・ジェレミという名は神父様が下さったものです。僕は僕の本当の名前で日の下を歩ける者ではありません」 思いがけず聞かされた神父の懺悔に男たちは何も言い返せなくなり、教会の庭先で雁首揃えて突っ立っている自分たちが他に何をすべきなのか、考え直さずにはいられなくなっていた。  それでも、と誰かが呟く。「もう嫌なんだ。怯えて生きるのは」  そうだ、と続く声があった。「このまま引き下がっても失うほかに何がある」  追従する声が静かに、だがやがて熱を帯びていくのを、ロカイユももう止めることができなかった。町民たちはロカイユよりもずっと長い年月を呪いの下で震えて生きてきたのだ。消極的な守勢ではもはや何の好転も見られなくなっていることを、死者の列で見せつけられている。何らかの行動を起こさずには、呪いを待たずに自らの恐怖心によって押し潰されかねない。  そういうところにまで追いつめられている人間に言葉は力を持つことかできないのだろうか。ロカイユはそう思いながら、結局は足元の十字架のナイフで運命を分けねばならないのかと考えた。  その時、不意に現れた気配に全員の目が注がれ、そうして固まった。  ミホークが、立ち現れていた。  高みからまっすぐにロカイユを見る目が人でない何かのように見えた。これが、つい今朝方には自分と共に食卓につき、パンとワインを味わっていた旅人と同じ男なのだろうか。翼か爪か、この男の隠していた何かが姿を覗かせ始めている。ロカイユはぞっとした。  「ぬしの告解は俺が聞いた」  その手に思わず手を差し出してしまうと、体が軽く引き上げられ、ロカイユをくらくらとさせた。力も心も、何もかもが秀でていて、それゆえに危険でしかないものに魅入られるということが本当にあるのだと思い、取り返しのつかないところへ立たされた気がした。  それが証拠にロカイユとミホークの間を遮るものがあった。果たして紫の布がするりと落ちて、あの仮面が姿を現した。奥を見ると、布の落ちた向こうには、天板と平行に真っ二つに切り分けられたからくり箱が転がっていて、ロカイユにことの次第を教えていた。結局何の役にも立たなかったのだ。  ミホークの手が、呪いの仮面を自らの顔へ重ねる。仮面にみるみる命が流れこんでゆき、町の男たちの間に戦慄が走った。  「ジャン・パッサール」  呟いてミホークが、仮面の姿で一歩を踏み出す。手首をつかまれたままのロカイユも操られたように一歩続いた。  「クロード・バタイユ」 さらに一歩。聖堂の日陰から日なたへ。赤珊瑚の目が日を受けて灰になるどころか、ぎらりと光った。  「ジョルジュ・ラッシュ」  男たちは悲鳴を上げることもできず、かといって一目散に逃げ出すこともできず、ただぶるぶると震えている。ミホークがさらに一歩近づいただけで腰を抜かし這いつくばる者もいた。  「ジャン・マドレーヌ」  「やめてくれ!」誰かが叫んだ。  「クリス・フェレイラ」  今の名で五人。しかもこれは――  「アラン・バルネス」  ロカイユは手首が冷たくなるのを感じた。名はすべて仮面の犠牲者たちのもので、しかも最初に死んだ町長から正確に順を追って名が挙げられていた。  七人目、八人目、九人目。やはり間違いはない。もちろん、男たちもそれにはとっくに気付いていた。  「ジェラール・バルザック、ピエール・ジュディット……フィリップ・ルプランス」  「?」ロカイユと男たちが同時に息を呑んだ。  「ヴァンサン・ラランジュ」  違う、と全員が思い、目を見合わせた。一人抜けて、その後に今度は存命中の人名が列なり始めている。  そうして二十二名を数えたところでそれは唐突に終わった。中にはくだんの港湾局長の名前も含まれていた。  ミホークの手が仮面を外した。それでも仮面と同じか、それ以上に恐ろしい顔がそこにあった。  「仮面の告発、伝えたぞ」  そう言ってロカイユの足元から小剣を拾う姿は確かにミホーク自身に戻っている、とロカイユは思う。しかし町の男たちは、ある者はしゃがみこんだまま動けず、ある者は石のように固まり、ある者はぼろぼろと涙をこぼしてさえいた。それはミホークにとっては仮面のあるなしに関わらず、見なれた光景ではあった。  「まさか」言ったのは局長だった。「奴なのか?」 直後、口元を歪め、やがてくつくつと肩を震わせた局長を、若い衆も何事かと見る。  「あいつが呪いの正体だというのか? それでパッサールやマドレーヌを殺したって言うのか?」局長はやがてはっきりと笑い出した。  「そんなバカな話があるか? だいいちもう大昔の話じゃないか。それが今さら呪いだと?もうとっくに終わったことだ」  ロカイユには何が何やら分からなかったし、若い男たちもただあっけにとられていた。だが局長にしてもミホークが他所者であることを忘れて勝手にべらべら喋りながら、自分の顔が真っ青になっていることに気付きもしない。  「しかもルプランスやラランジュや、この私までも殺すというのか? ふざけるな」局長は叫んで壷を振り上げた。  しかし、直後に身を投げ出した神父の姿は目に入らず、素焼きの壷がその金髪の頭に当たって割れてはじめてことに気付いた。  ロカイユは衝撃に膝を屈した。ぼたぼたと血が落ちて、油や壷の破片の上に落ちた。  それで恐慌が起きた。ほとんどの者が壷や武器を投げ捨てて逃げた。  「ミホークさん」  ロカイユにはもうなすすべがなかった。  担がれてどのくらい行ったのかは分からなかったが、ミホークの確固とした足取りが町を離れ、やがてジャッジャッと小石を踏む音に変わったのをロカイユはぼんやりと聞いていた。丘の裏手の渓流へ来たのだろうか。逃げているのだろうか僕たちは、と思う。  下ろされて草地に寝かされ、それでやっと天地上下の感覚が帰って来た。手をついて体を起こしたが、肩に触れた手がそこにいろというのでおとなしく従う。実際、まだ歩けるものではなかった。  ジャッジャッという足音が少し離れ、しばらくしてまた戻ってきた。冷たい何かが頭に触れ、そこがずきんと痛む。  自分が目を瞑っていることにやっと気付いてロカイユは目を開けた。眼鏡はなかったが、ミホークと、血のついたハンカチが見えた。  「傷は大事ない」ミホークが言った。「ただ、油を被っているから洗っておいた方がよい」  ハンカチを差し出してミホークは川辺に戻り、自分のコートを脱いで川の水に漬けた。ロカイユものろのろと続いて川辺に座り、ハンカチで水をすくって血糊を拭ったが、結局四つん這いになってざぶりと頭を水に突っこんだ。刺すように冷たかったが、その早瀬が櫛になってロカイユの髪から油を流し去り、傷を清めた。  顔をあげると驚くほどすっきりした。神の恵みだとロカイユは思った。  そうして僧衣も脱いで水につけた。やはり少し振るっただけでだいぶ油臭さは抜けた。  それでもまさか火を起こして乾かすわけにはいかないので、ミホークのコートと並べて木の枝に引っ掛けるだけにする。春の祭りを控えているだけに中天の日差しは温かく、風も柔らかだった。  だが空の一角には黒い煙が見えていた。冬越しの枯れ立ち木の枝に遮られて見えにくかったが、明らかに火災の煙であった。  「燃えてるんですね、教会が」  「いかにも」  「仮面は?」  ミホークが近くの岩の上を指した。それが、ミホークの帽子と並んでちょこんと載っていた。不思議とただの仮面に見えた。  「諦めたか」ミホークが尋ねる。  「さあ」ロカイユは返した。  最初の犠牲者である町長の死体の発見場所近くにいて、仮面は剥き出しのままそこにあって、しかも教会は今まさに燃えているというのに――  「よく分からなくなってしまいました」  ロカイユは笑ってミホークを見た。地面に突き刺した十字架の形の剣に姿を映して少し俯くミホークの姿は、その上半身が裸であるせいか聖堂の中央を飾る彫像に似て見えた。しかし救世主ではなく、やはり修羅の戦士であることは隠しようがなかった。  哀れだ、そう言ったミホークの言葉が思い出された。  「僕の呪われた身をもってすれば、あるいは戦えるかと思ったのですが」  またあるいはミホークのような強靭さがあれば、迷いや怖れは霧消するのだろうか。仮面を被っても己を見失うことなく立っていられるこの男の強さを、いったいどうすれば自分も手に入れることができるのだろうかとロカイユは思った。  「ぬしの故郷の燃えたことは、ぬし自身の意志に関わりないこと。それを頼んでこの町の呪いと戦おうとするから敗れるのだ」  「僕のせいじゃない? そんなこと、あの夜亡くなった人たちが聞いたら何と言うか」  ミホークは日のあたる川面をまばたきもせずに見ていた。  「ならば戯れに聞いてやる。その火で幾人殺した」  ぐっと心臓を掴まれた気がしたが、ロカイユはこらえた。「四十八人です」  ふん、とミホークが鼻で嗤った。「一晩かけて町一つ焼いてその程度か。仮面の呪いとて年に一人殺して十二年がかりがやっとの道半ば。さらにこののちまだ十二年はかかると言うのだから、なるほどぬしらはいい勝負だ」  「……」  「俺は一刻の間に五千人を殺すぞ」  五千。この男なら嘘ではないだろうが、しかし虐殺者と言って罵るべきなのか、あるいは懺悔と見なして何かとりなすべきなのか、またあるいは猛き武勲と言っていっそ称えるべきなのか、まるで見当のつかない数字だと神父の身には思われた。  「ぬしには人は殺せぬ」  ロカイユは笑ってしまった。それ以上の許しの言葉はないだろう。しかしミホークはなぜそんなに簡単に許せるのか。風がシャツ一枚の肌に冷気を突き刺し、震えた拍子にまた涙が浮かんだ。  そういえば前にもこんな涙を流したことがあった。  あれは町を焼き尽くしてしまった日の、一夜明けた翌日のことだ。子供なりに罪の重さを自覚して茫然としていたあの日。残った町民たちの怒りと絶望を一身に浴びて死刑の宣告を受けた。  怖い、と思った。が、その時は涙を流さなかった。泣いたのは、たまたま町に逗留していた神父が煤だらけの顔もそこそこに会いに来た、その時だ。  人の目から見ればどんな大罪であろうとも、天の神様が高いところからご覧になれば、どんな罪もやがて赦されるものなのですよと、そう言って抱きしめてくれた神父の胸で、初めて熱い涙が流れたのだ。  「ミホークさんはずっと高いところから、鳥のように僕たちを見ているのですね」  ミホークはやはり否定はしなかった。  「何が見えますか。その高みから」  「ぬしと、町の者たちの見ようとしないものが」  ロカイユの目は反射的に岩の上の仮面へと向かった。  仮面は、ただ一人それと向き合い、その声に耳を傾けたミホークに何を教えたのか。  「人名」とロカイユ。「あれはいったいどういう意味だったのでしょう」  「それはぬしや、町民たちの方が心得ているのではないか?」  「最初に亡くなった町長さんに始まって、正確に十ニ人の死者の名を連ねました」  「それは仮面が呪いの力を以って殺した者の列だ」  「でも去年亡くなった、僕の前任の神父の名はなくて、そのあとには今も生きている人たちの名前が続きました」  「それは今後殺される者の列であろうな」  「なぜ神父の名はなかったのでしょう」  「あれは知らぬのだ」  「?」  「気急いて殺したのだ。あれにしてみれば、呪いの成就を一年先送りにしてでも、名も知らぬままなりとも殺す理由があったのだ」  今、喋っているのは本当にミホークなのだろうかとロカイユが疑惑の目を向けたことをミホークは気付いていた。  「ぬしを運んでここへ来るまでの間に、俺はあの仮面と話をした」  ロカイユの眉間がこわばった。「あの若い男の声と?」  ミホークが整った髭の顎をくっと引いた。「仮面は、いや呪いの本性たる者は、自分を殺した者と、見て見ぬ振りをした者全員とに復讐を誓ったのだ。その具象があの仮面だ」  「何があったのですか」  ミホークは組んだ膝の上で指を祈る形にした。  「二十年前、この港の沖で定期船が沈んだ。暗礁に乗り上げたのが原因といわれたが、事実は違った。海軍の演習の誤射で沈没させられたのだ」 「そんなことが」町の者たちからは全く聞いたことのない話だった。  「隠蔽されたのだ。だが男はその事実を単身暴いた。だがそれがために海軍と町の有力者たちの共謀によって、消された」  「なんということを」思わず十字を切ったロカイユをミホークが見ていた。  「定期船の船長は男の伯父で、航海士はいとこだった。沈没は彼らの過失とされたが、男にはそれが信じられず、汚名を雪ごうとしたのだ。しかし、無力であるがゆえに殺された」 ゆっくりとミホークの体が伸び上がり、そのコートを枝から外した。日なたの光と風を浴びてコートはすでに乾こうとしていた。ばさり、とその裾が翻って剣士の体を包んだ。漆黒の翼のようだとロカイユは思う。 花の刺しゅうをあしらった切り返しの赤い袖が、河原の石の間から十字架の姿の黒刀を抜き払い、そのあるべき場所へと背負った。 そうして仮面よりも赤い目がロカイユを見た。  「己自身の良心に照らし、この町のために力を貸せと、ぬしは言ったな」  今はミホークの広い胸に戻っている十字架のペンダントが光る。  「俺は仮面のために力を貸すことにした」  一瞬、ロカイユは判じかねる。だがミホークの手が岩の上の仮面を取り、紐を結んでそれをつけた瞬間、川の冷たい水を浴びたように震えあがった。  ミホークは仮面の亡者そのものとなったのだ。  つば広の帽子を被ったために珊瑚の目は陰へ隠れたが、その姿がもうどう見てもミホークには見えない。  ああ、とロカイユの喉が呟く。  仮面の裂けた口が、それに答えるように声を得た。  「おおお素晴らしい。なんと強い力の漲ってくることか」  やはりミホークではない。間違いなく仮面が喋っている。  ロカイユは叫んだ。「ミホークさん、仮面を外して!」  だがミホークの、今は仮面のものとなった腕がロカイユを捉え、あっさりとひねりあげた。足が宙に浮いた。  「ミホークさん、操られちゃだめです! 目を覚まし――」  さらに高く持ち上げられた手首が最強の剣士の力で容赦なく締め上げられ、ロカイユの声は悲鳴に変わった。暴れ、蹴り飛ばしてもミホークの体は大岩のようにびくともしなかった。  「おい神父」仮面が言った。「俺はこの男を操ってなどいないぞ。こいつが進んでこの俺に体を、この最強の体を貸してくれているんだ」  「嘘だ!」